遺言5

 モルヒネの量が増えると覚醒している時間が減る。しかしモルヒネを使用した疼痛緩和技術の進歩がなければ、癌の末期をこうして我が家で過ごすことは困難だったに違いない。

 大造はゆっくりと立ち上がって庭を見た。昨日撒いておいた米を、もう雀たちが舞い降りてついばんでいる。自分の命の灯が消えかけていると思うと、今日を生きることだけに夢中になっている小さな生き物たちの姿に慰められた。

(それに比べ、人間どものあさましさはどうだ)

 大造は数日前、居間から聞こえて来た子供たちの会話に今も腹を立てていた。

「お前なあ、事業に失敗する度にこれまでいくら親爺にカネの面倒をみてもらったと思ってるんだ。その分は相続から差し引いて当たり前だ」

「あれ?そんな事を言い出せば兄貴の学費だって相当な金額になるぞ。二浪した費用も含めれば半端じゃない。俺は大学にすら行かせてもらってない」

「何言ってるんだ、東京で音楽やるんだって、お前は自分から高校中退したんじゃないか」

「ちょっと二人とも、お父さんに聞こえるわよ、見苦しい。法律の決まり通り、遺産は私たちで三等分すればいいじゃない」

「姉さん、嫁入りにいくら持たせてもらったか俺たち知ってるんだぞ。三等分は欲が深すぎる」

 大造は耳を塞ぎたくなると同時に、人間の仕事の中の最大のものは子育てであることを思い知った。

(俺が死ねば、きっとあいつらはもめる…)

 遺産を巡る争いを未然に防ぐのも親の仕事なのだと悟った大造は、その晩遺言を書いた。書き上げると子供たちの不満な顔が浮かび、三度書き直して封をした。大造はそれを必ず大造の最期に立ち会うかかりつけ医に託し、ひと月ほどして静かに逝った。医師は遺言保管者として裁判所の検認を請求したが、裁判所からは思いがけない結果が来た。八月吉日と記された遺言は、日付が特定できないという理由で無効だったのである。