忖度

令和01年12月10日

 夜分、約束もなく自宅へやって来た新聞記者は、

「仕事の話は役所でお伺いします」

 玄関のドアを半開きで対応する青山秀紀に、

「運送会社の土地取得に対する知事の関与について、土木部長は、当時の書類はシュレッダーで処分したから存在しないとして一歩も譲りませんが、役所が建設用地決定のプロセスを記録に残さないなんて誰も信用しませんよ。具体的な仕事を担当されたのは用地係ですよね、青山係長」

 近所に聞こえるような大声で質問を始めた。

「困りますよ、こんなところで…中へ、とにかく中へお入りください」

 秀紀は慌てて記者を客間に通し、妻の文代はお茶を運んだ。

「本当は存在するんでしょ?議事録…ね、青山さん、これは政治献金絡みの汚職事件の可能性があります。道路建設の情報が事前に運送会社に流れて、ただ同然の土地を高く売った一部が政治献金として知事に戻ったとしたら、血税が献金に化けて知事の懐に入ったことになります」

 知事が県民のために仕事をしているときに知事の思いを忖度するのは県職員の忠誠でしょうが、知事が私腹を肥やした事実を隠ぺいするのは県民への裏切りですよ。

「違いますか?」

 と詰め寄られて、秀紀は返事に窮した。書類をシュレッダーにかけた事実はないが、部長も課長もそう答弁した以上、係長の段階で否定する訳には行かない。

「今夜のところはお引き取り下さい。でなければ不退去罪で警察に電話しますよ」

 秀紀が携帯電話を持って立ち上がると、

「公務員としての誇りがあるなら、考えておいて下さいね」

 記者は言い残して帰って行ったが、それからが大変だった。

「最近あなたが悩んでいたのは、これだったのね?」

「聞いたのか…」

「聞こえたのよ。ねえ、馬鹿なこと考えないでよ。誇りでは生活できないからね。公務員だからクビにはならないにしても、課長や部長や知事を敵に回したら、仕事、続けられないわよ」

「分かってるよ、おれだって組織の人間だ。心配するな」

「文書、破棄した方がいいと思う」

「え?」

 秀紀は驚いたように文代を見た。公文書を破棄するなんて、公務員としては絶対にやってはいけないことだ。

「だって課長も部長もシュレッダーで処分したと言ってるんでしょ?その通りにするんだもの、あなたに責任はないわ」

 それより処分したはずの文書が見つかって、マスコミに流れたりしたら、それこそただじゃ済まなくなる。

「来年達彦が大学に行くと学費と仕送りで大変になるのよ」

 と言う言葉が秀紀の決断を促した。

 次の日、秀紀は議事録を初めとする関係の書類をシュレッダーにかけたが、マスコミの追及で破棄した文書の電子データが復元されると、今度は公文書の破棄そのものが問題になった。

「担当係長が一存で文書を破棄したものであり、適正な処分を検討致します」

 秀紀一人が罪に問われた。復元されたデータは知事の収賄の証明をするには至らなかった。