戒告処分

令和01年12月27日

 誰も住んでいないはずの山裾の一軒家から煙が上がっている。

「ん?」

 ここに住んでいた陶芸家の加藤芳蔵は、一昨年、脳梗塞を発症して介護施設に入所した。日に一度、担当の民生委員が安否確認の電話を入れなければ孤独死を遂げていたに違いない。

「あの…私、この地区の民生委員で小谷と申しますが…」

 声をかけると、切株に腰を下ろした黒い作務衣の痩せた男は、眼鏡越しに小谷を一瞥して窯に薪をくべた。茶色のバンダナで覆われて頭髪は見えないが、前方に伸びた眉の様子や、口の周囲の無精ひげの白さからは、前の住人同様、やはり七十代後半に見える。

「加藤さんのご親戚ですか?」

「いえ、陶芸仲間で沢村と言います。加藤くんが倒れたので、工房を借り受けて移り住みました」

 沢村はポケットから無造作に名刺を差し出した。

「これは、遅れました」

 小谷も慌てて名刺を渡し、

「おいくつですか?」

「七十七歳です」

「喜寿ですか…。お一人で?」

「陶芸なんてものに夢中になると、家族は離れて行きますよ」

 沢村の眼鏡で炎が揺れている。

「ここは冬は寒いですし、買い物も不便です。加藤さん同様、日に一度、安否確認のお電話を入れましょうね」

「いや、無用に願います」

 このときばかりは沢村は向き直って真っ直ぐに小谷を見た。

「加藤くんのように救急搬送されてはたまりません。私は陶芸のために何もかも失いました。この年齢です。土がいじれなくなったら、生きていても意味がありません」

 どうか放っておいて下さいという沢村に曖昧な返事をして工房を後にしたものの、山で一人暮らしの高齢者をこのままにはしておけない。小谷が情報を提供した沢村賢吾という独居の陶芸家について、地域包括支援センター主催で、早速、地域ケア会議が開催された。

「芸術家の中でも陶芸家は、特に変わってますからなあ…」

「土がいじれなくなったら死ぬだなんて、そんなふうに考えること自体が、ある意味、認知機能の衰えかも知れませんよ」

「認知症ですか…可能性はありますね。身寄りは?」

「陶芸のために何もかも失ったと本人は言っていましたが…」

「そうですか…。一度、市の方で調べてご報告致しましょう」

 高齢福祉係の池田係長の調査結果をもとに、地域ケア会議で方針が話し合われた。自然な形で見守り活動につなげようという計画に基づいて、翌月再び工房に車を走らせた小谷民生委員は、

「近くに来たので寄ってみました」

 焼きあがった作品を褒めながら、

「二人の息子さんには連絡は取れるのですか?」

 とうっかり口をすべらさせたのがいけなかった。

「なぜ、私に息子が二人いることをご存じなのですか!」

 会議の経緯を知った沢村は、怒りを隠さなかった。

 戸籍を閲覧して得た個人情報を本人の承諾なしに第三者に提供したことについて、市と新聞社に告発された池田係長は、市役所のルールに基づいて粛々と戒告処分に付された。