文化祭

令和01年12月29日

 文化祭の顧問に任じられた田所教諭は、実行委員が開催する運営会議に同席して検討の推移を見守っていたが、展示絵画の全貌が明らかになってみると、極めて困難な事態に直面した。

「これは…」

 『怨怒』というタイトルの作品は、実行委員長の福知遥平が言葉を失うほど衝撃的だった。真っ赤に塗った三十号のカンバスの中央に首を吊ったブレザー姿の男性が黒一色のシルエットで描かれていて、胸には本校の校章が、そこだけ金色に輝いている。それが昨年暮れに自殺した一年生の坂本省吾を表していることは誰の目にも明らかだった。

「これは美術部の三崎くんが文化祭のために描いた卒業記念の作品ですが、展示しても構わないでしょうか?」

 という遥平の言葉で、会議は紛糾した。

「確かに衝撃的な作品ですが、僕は展示すべきだと思います。表現の自由は奪えません。三崎くんは死んだ坂本くんの無念を表現したかったのではないでしょうか」

「私も展示すべきだとは思いますが、描かれているのは無念ではなくて怨みと怒りでしょう。それはタイトルからも明らかです。三崎くんは坂本くんに代わって観る者に怨みと怒りを訴えているのです」

「だからこそ僕は展示に疑問を感じます。坂本くんが自殺して一年も経っていません。この作品を見て心を痛める人たちがたくさんいます。ご両親がご覧になったらどんなにお辛いか…」

「坂本くんの自殺はいじめが原因だと言われて調査されましたが、曖昧なまま済まされようとしています。でも、私たちはいじめた人を知っています。坂本くんの辛い立場を感じながら、関わろうとしなかった教員も知っています。私たちは見て見ぬふりをしていました。もちろん三崎くんも同じです。全員で坂本くんを追い詰めたのです。このまま無かったことにしていいのか?と作品は問いかけているのではないでしょうか。私は展示すべきだと思います」

「私は反対です。そもそも文化祭は芸術祭でしょう。具体的な誰かに対する怨みや怒りを、こういう形で表現するのはちょっと違うのではかないかと思います」

「だったらピカソのゲルニカも芸術から外れることになりますよね?あれは無差別攻撃で死んでゆく市民の姿です。自殺した坂本くんの姿を描くのとどこが違うのですか?」

「これだけ様々な意見を呼ぶというだけでも展示する価値はありますよ。作品の評価は観る側の問題です。われわれは表現の場を提供するに過ぎません。法に触れない限り表現の自由は憲法で保障されています。そもそも事前にこうして展示の是非を検討する権限が実行委員にあるのでしょうか?」

「先生…顧問としてのお考えをお願いします」

 と遥平に意見を求められて田所は即答を避けた。

「君たちはいま芸術とは何かというとても本質的な問いに取り組んでいます。まだ時間はありますから、次回までにそれぞれの考えをまとめて来て下さい」

 田所は教頭と相談してその晩のうちに三崎優斗の説得に向かった。この作品は芸術であるかどうか以前に展示させる訳には行かない。展示すれば、収束を見せ始めた坂本の事件が蘇る。

 両親を交えて説得した甲斐あって、『怨怒』の展示は作者の方から自主的に取り下げられた。