ハイリスク家庭

令和02年01月05日

 会議室はいつになく重苦しい空気に包まれていた。要保護児童対策地域協議会の参加者はまさか自分たちの管内で幼児虐待による死亡事件が発生するとは思ってもみなかった。

「ニュースもワイドショーも事件の報道一色ですよ」

「最近、真由ちゃんの泣き声が聞こえないという通報が市役所にあったそうではありませんか」

「泣き声が聞こえるという通報であれば放置はできませが、聞こえないという通報ですからねえ…」

「夜な夜な泣いていた二歳児が、泣かなくなったという意味を想像する力が必要でした…ま、あとになって言えることですが」

「児童相談所が両親を指導した矢先だったのですよね?」

「指導方法の是非も問題になるでしょう、事件が起きてからがマスコミや評論家の出番ですから、担当者は大変です」

 さて、皆さん…と、市の児童福祉係長が全員を制し、

「真由ちゃんの死を無駄にしないためにも、本日は虐待防止の方法について具体的な議論をお願いしたいと思います」

 指名はしませんから、どうぞ自由に発言して下さいというフランクな進行が功を奏して、参加者からは活発な意見が出た。

「今回の事件は結婚前の妊娠に腹を立てる親から逃げて、この町で出産した若夫婦が、誰からも援助が受けられない中で諍いを繰り返した挙句に起きました。父母とも十八歳ですよ。若すぎる夫婦の出産は子育てにリスクが伴います。産院でも住民課でも把握できたはずだと思います」

「若年出産だけじゃなくて、未熟児も双生児も発達障害児も、育児に困難が予想されるという意味ではハイリスクですが、これも出産時だけでなく、健診時に保健センターでも把握ができますよね。もちろん健診を受けない両親は要注意です」

「母子家庭も父子家庭も、子どもにとってはハイリスクでしょう。特に離婚家庭は複雑な心理的事情を抱えています。しかし、これらは住民課でも児童扶養手当の係でも把握可能です」

「不安定就労も子育てのリスクは大きいですよ。貧困は様々な問題を引き起こします。マイナンバーを活用すればハローワークや年金の係でも捕捉できそうですよね」

「夜勤もハイリスクじゃないですか?子どもの夜泣きに夫婦どちらかが一人で対処しなければならない。夜勤から帰った人は睡眠を取りますから、子どもを泣かせてはいけません。両親のどちらかが夜勤という核家族もどこかで把握できますよね?」

「問題は把握した情報の活用方法ですよ」

「民生児童委員や自治会にハイリスク家庭として連絡して、見守り活動を強化したらどうでしょう。リスクの高い家族がどこに住んでいるかが分かれば助かります」

「しかし、それって…個人情報ですよね?」

「個人情報の取得に当たっては利用目的を明らかにし、第三者に提供したり目的を変更するときは本人の同意が必要です」

「生命や財産の保護のために必要で、同意が取れないときという第三者提供の例外規定はありますが、単に一般論として子育てリスクが高いというのでは該当しませんしね」

「出産や検診や住民登録の時点で、子育てを見守るために、あなたの個人情報を地域の関係者に提供したいと思いますが構いませんかと提案して、果たして同意が得られるでしょうか?」

「う~む、必要性の高い人ほど怒るかも知れませんね…」

 再び会議は重苦しい沈黙に包まれた。