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レシート
令和02年01月07日
五月の連休が過ぎて見ると、思ったより売り上げがあった。
「皆さんが頑張ってくれて、たくさん五平餅が売れたので…」
ボーナスを支給します!と孝也が封筒の束を掲げると、
「ボーナスだって!」「ボーナスって何?」「特別におカネが出るんだよ」「給料とは別に?」「だから特別に出るんだってば」
白いブラウスに黒いエプロン姿の四人の店員たちは、嬉しそうに孝也を取り囲んだ。四人は小学校四年生レベルの能力しかないことを証明する手帳を持っているが、一見しただけでは知的障害者とは分からない。
五平餅屋ができるまでは、四人を雇用する会社はなく、同じ法人が運営する障害者の作業所で箱折り作業を行って、月額一万円の工賃が稼げなかった。一生懸命働いて一万円…。四人共、障害年金と合わせて月額七万円程度の収入で生活していた。
法人が観光地にあるという条件を活かして、もっと収益が上がり、人に喜ばれているという実感があって、仕事を通じて社会性が身につく就労場所が作れないものか…。
折しも、百年の歴史を持つ屋台の五平餅屋が、後継者不在で廃業した。孝也は夫の味を守っていた高齢の女性店主に掛け合って、製造器財一式の譲渡と、味の伝授の約束を取り付けた。目抜き通りで空き家になっていた古民家を借り受ける承諾も取った。伝統の味を継承するというコンセプトで町の五平餅屋を復活させる孝也の構想は、助成団体の審査員の胸を打ち、行政の補助も得て、二年かかりで開業に漕ぎつけた。
障害者の作業所ということは伏せて味で勝負することにした。大通りに漏れる醤油の焼ける匂いには一定の集客力があったが、餅の固さ、たれの甘さ、焼きの程度…と、昔の味の再現は試行錯誤の連続だった。
しかし、四人の障害者たちは目覚ましい変化を見せた。
きちんと制服を着て、「いらっしゃいませ」「お待たせしました」が言えようになると、客の軽口にも応じられるようになった。来客が途絶えて暇になると、気を利かせて掃除をするようになった。ゆとりがあるときは進んで仲間の手助けをした。
ボーナスの封筒の中を見た里美は、四十二歳とは思えない無邪気な声を上げた。
「わ!一万円札が六枚!こんなにもらっていいのですか?」
「後藤さんが一生懸命働いて稼いだおカネです。何でも好きなものを買って下さい。あ、帰りにうっかり落とさないでね」
その日、里美は封筒の入ったバッグを抱きかかえるようにして家に帰った。一度に六万円を手にするのは初めてだった。
何でも好きなものを買っていいと言われたが、千円以上の買い物の経験のない里美は、何を買ったらいいか分からなかった。
月曜日、後藤里美が黙ってレシートを差し出した。
「何?後藤さん、どうしたの、このレシート」
何かを支払えと言う要求かと身構えた孝也に里美は言った。
「私、欲しいものが分からないので、生まれて初めて父ちゃんと母ちゃんに焼肉をご馳走しました」
里美は誇らしそうに焼肉屋のレシートを財布にしまった。
毎月渡せる金額はまだ三万円程度だが、里美の両親は七十代にして人生で最高の焼肉を味わったに違いない。
それだけで、五平餅屋を開業した甲斐がある…と孝也は胸を張って店先に暖簾を出した。
終