年賀状

令和02年01月17日

 山のような年賀状を前に、浩一郎はパタリと筆を置いた。

「もうやめた、やめた、こんな形式的なこと…」

 大半が印刷ではないか。一旦パソコンに登録してしまえば宛名は自動的に印刷される。その上、新年の挨拶が出来合いの図柄で、手書きの一文も添えてないとなれば、送り主は宛先の相手を思い出すことすらないのではないか。

 それが嫌で浩一郎は、文面も宛先も毛筆で心を込めて書き続けて来たが、枚数が増えてとても追いつかなくなった。しかし自分は印刷の年賀状など送りたくもない。あの人には出す、この人には出さないと線を引くこともしたくない…となれば結論は一つだった。

「スマホの時代だぞ。普段はみんなメールやラインでやりとりしてるのに、年に一度だけ葉書というのは無理がある。文字を書き慣れていないから印刷になってしまうんだ。それに暮れの忙しい時期に、明けましておめでとうなんて、新年を迎えた気分で書くのも何だか芝居じみている。年賀状は今年でやめだ」

 おれはメールにすると宣言して十年余りが経つ。

 年賀状は出さなくなると来なくなって、百枚を超えていた枚数が五年で二十枚程度になった。今年も郵便受けから年賀はがきを取り出して、浩一郎は浮かない顔でそれを分類した。

「どんなふうに分けてるの?」

 妻の美也子が聞いた。

「こっちは昨年中に新しく名刺交換した人たちだろ?こっちはおれが出さなくても必ずくれる手書きの人たち、残りはこちらが出さなくなったことにも気が付かない印刷の年賀状だ」

 浩一郎は受け取った年賀状のうち、アドレスの分かるものにはメールで新年の挨拶をし、分からないものには一月中に封書で近況を知らせる手紙を送ることにしているが、両面とも印刷の義務のような年賀状を除くときに、小さな借金をしてしまったような後ろめたさに襲われる。それが浮かない顔の原因であり、そもそも年賀状をやめた理由でもあった。

「出した相手から来ていないといって心が騒ぎ、出さない相手から届いたといっては申し訳ない気持になる。昨年まで来ていた人から来なかったとなると、気を悪くすることがあったのかと心配をする。おめでたいはずの元旦が、そんな貸借対照表のような一日で始まるのは馬鹿げてる」

 そうは思わないか?と美也子に聞くと、

「あなた、毎年、元旦に必ず同じことを言っているのに気が付いてる?」

 美也子の返事も毎年決まっていた。

「結局あなた、年賀状を出さないことを気にしてるのよ。不合理であろうが不愉快であろうが、ご挨拶をしたい人には迷わずに書けばいいじゃない。出す人と出さない人を分けたくないなんて言うけど、そんなこと相手には分からないんだからね」

 本当は面倒なだけなんでしょうと言われて、むっとした浩一郎の目に、平仮名ばかりが躍る一枚の葉書が目に留まった。

『あけましておめでとうございます。ことしはぱぱのおうちにいきますが、らいねんはままのおうちにいきますから、じいじもばあばもまっていてください』

「おい!菜穂からだ、菜穂から年賀状が来ているぞ!」

 来年小学校に上がる初孫の、人生で初めて書いた年賀状に、浩一郎の瞳がうるんでいる。