証言

令和02年02月01日

 食事介助中に誤嚥で利用者を死亡させた白石和美は、ほとぼりを冷ました方がいいと言われて施設を退職したが、

「え?二年以上も経って証人喚問ですか?」

 損害賠償訴訟の証言台に立つことになった。

「あの事故は窒息死ではなく、食後の心臓発作による病死だったという施設側の主張に納得できなくて、とうとう一人娘が民事訴訟に踏み切った訳だけれど、あくまでも施設に落ち度はないという前提で証言を頼みたいんだよ」

「しかし、救急搬送された病院では、死亡診断書に窒息死と書かれていたはずですし、消防署にも利用者が食べ物を喉に詰まらせましたという私の通報が録音されていますよ」

「君は正枝さんの食事介助を済ませ、口中に食物がないことを確かめて、別の利用者を居室に移動させた。戻って来ると、正枝さんがテーブルに突っ伏して顔面が蒼白になっていた。気が動転した君は、利用者が食べ物を喉に詰まらせたとつい消防署に通報したけれど、いいかい?部屋には職員は君だけで、利用者は全員が認知症だ。法廷では君の証言が真実なんだからね」

「死亡診断書の記載は?」

「手は打ったよ。搬送されたときには既に死亡していて、消防署からの連絡をもとに一応窒息と診断はしたが、病理解剖した訳ではないから、裁判で死因を特定するという性質の診断名ではないと、医師の意見書が取ってある。君だって介護事故の当事者にはなりたくはないだろう?」

 と言われれば断れなかった。

 証言までに数度施設に出向いて、顧問弁護士のレクチャーを受けた。

「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べない旨を誓います」

 正面の一段と高い席に黒い上着の裁判官が三人、証言台の前ではやはり黒い服装の書記官が一人、和美の宣誓を聞いている。証言台の両側に配置された席に座る、原告と被告の弁護士を加えると、真実を明らかにするために立派な大人が五人もこの法廷に集まっている。

 まずは施設側の弁護士に質問されて、和美は教わった通りに事故の様子を次々と答えたが、

「はい。口中に食物はありませんでした」

 と答える段になって激しい嫌悪を感じた。介護歴わずか三年で、緊急時の経験のない和美に、たった一人で十人の利用者の介護をさせた施設の体制こそ明らかにすべきではないか。

 続く遺族側の弁護士の質問はさらに具体的だった。

「あなたはまず蘇生術を施しましたか?救急車を呼びましたか?」「入れ歯が外されていたという記録がありますが、口中に何もなかったのなら、どうして入れ歯を外したのですか?」「施設の緊急時対応マニュアルによると、看護師の指示を仰ぐことになっていますが、看護師からはどんな指示を受けましたか?」

 具体的な質問に嘘で答え続けるのは困難だった。やがて美和は、施設がついた嘘を暴くのは自分の役割ではないかと思った。

「正枝さんは私が食事介助中に誤嚥した窒息死です。心臓発作だと言えと弁護士さんから言われました。緊急時のマニュアルはありますが、きちんと研修を受けた事実はありません」

「裁判長!休廷を、休廷を求めます」

 施設側の弁護士の慌てふためいた声が法廷に響き渡った。