権利放棄

令和02年02月01日

 瑕疵担保責任という耳慣れない言葉を聞いて、

「どういう意味なの?」

 恵理子が聞くと、

「マンションの構造の欠陥は、売主である不動産会社に責任があるという意味だけど、時効が十年なんだ。ここは築十三年だから、今回の外壁剥落の責任を会社に求めても無駄だと思うよ」

 陽一は法学部出身らしい説明をした。

「だったら、そのことを明日の総会で発言しなきゃ。理事会は大規模修繕を機に、外壁の全面検査を会社の責任でやってもらおうと要求している」

「全面かあ…。大規模修繕には外壁の標準検査は入ってるんじゃないかなあ。ま、管理会社は不動産会社の子会社だから、うまくやるさ」

「うまくやるって?」

「八枚だったっけ?剥がれたタイルの修理費用は会社が持って、あとは通常の大規模修繕ということで話がつくと思うよ」

 ところが予想に反して総会は紛糾した。

「八枚も落ちたってことは、これからも剥がれる可能性があるってことでしょう。落ちたタイルで通行人が怪我をしたり、亡くなったりした場合は、管理組合の責任になりますよね」

「十三年で外壁が落ちるなんて、欠陥マンションじゃないですか。表沙汰になれば、不動産会社だけでなく建設会社にとっても不名誉なことです。全面的に検査して、二度と剥落しないという確約書を頂きましょう」

「そうなると大変な費用になりますよ」

「当然、欠陥マンションを売った会社に負担してもらいます」

「あの…会社の瑕疵担保責任は既に時効だと思いますが…」

 陽一の発言は猛反発を受けた。

「あなた、会社の回し者ですか?欠陥マンションを買わされて困っているのは私たちなのですよ」

「そうですよ、将来同じようにタイルが落下して通行人に損害が出たら、あなた責任を取れるのですか?」

「いえ、私は法的な話をしているのです。取れない補償を求めて時間と労力を割くのはいかがなものでしょう」

「こういうことは諦めた方が負けですよ。相手は大手の不動産会社であり、バックにはゼネコンがいる。裁判に訴えると言えば譲歩すると思いますよ。マスコミだって味方にできますしね」

 住人の主観的正義の前に、陽一の発言は封じ込められた。

 しかし会社の責任を追及する交渉は難航したまま、取りあえず管理組合の要望で壁面の全面検査が終了したが、当然ながら今後剥落の恐れはないという確約書は取れなかった。

「あれ?委任状なんか書いて、あなた総会には出席しないの?」

「ああ、行けば敵のような目で見られる。欠席するよ」

 結局、総会は正義を叫ぶ声高な数人が委任状を背景に決定を重ね、弁護士を依頼して訴訟を準備したが、一年近くの交渉で結論が出た。会社の瑕疵担保責任は問えず、五十万円の和解金は勝ち取ったものの、弁護士費用と外壁の全面検査費用の外に、支払い遅延損害金が百万ほど必要になった。

「初めからあなたの言う通りにしていればよかったのよ」

 理事たちの暴走に憤慨する恵理子に対して陽一は、

「いや、結果はともかく、あの人たちは立派だよ」

 おれは総会を欠席して権利放棄したんだからなと呟いた。