路上ライブ

令和02年02月14日

 名古屋の姉からの電話は、明後日に迫った法事の日程の確認よりも、昨夜見た夏彦についての報告が中心だった。

「あれは間違いなく夏彦だよ、ギターもうまいけど歌もなかなかのもんだった。固定のファンだろうねえ、寒いのに駅の床に直接座って熱心に聴いてる女子高校生が何人かいてね、通りすがりの人たちが立ち止まって、ちょっとした人垣ができてた」

 演奏中だったし、急いでいたから、声もかけずに改札に向かったけど、あれは絶対夏彦だったと繰り返して電話は切れた。

「あいつ、歌を諦めていないのか…」

 美津子の話を聞いて、慎一は驚かなかった。

 夏彦は高校時代から仲間とバンドを組んで歌っていた。夏彦の作る曲は評判が良く、会場を借りてコンサートをすれば一定数のCDが売れた。

「夜の携帯電話に出ないのは、バイトじゃなくて、そんなことしてたんだねえ」

「大学にはちゃんと行ってるんだろうな」

 慎一は寝付かれないままつぶやいた自分の言葉に自分で不安になった。

「それは大丈夫よ、学費だって振り込んでるし、米を送ると電話が来て、やっぱり長野の新米は違う。これと比べると学校の食堂の米は食えないなんて言うもの。大学には通ってるさ」

「かけてみろ、携帯電話」

「一時を回っているわよ、第一こんな夜中に電話して何を話すのよ。お前、大曽根の駅で歌ってるって聞いたけど本当か、なんて言うつもり?」

 夏彦は昔からその種の干渉をひどく嫌う。高校を卒業したら東京で歌手を目指すという夢を断念させて、名古屋の大学を受験させるのにどんなに手こずったことか。

「法事は日曜の朝で、明日は姉さんの家に泊まるんだったよな」

 慎一夫婦は同じことを考えていた。

 土曜日は、夕方の六時頃に大曽根駅に着くように列車に乗った。改札を出ると歌声が聞こえて来た。音をたどって駅の裏に出たところで二人は柱の陰から演奏者を見た。

 寒空でギターを弾きながら夏彦が歌っている。

 正面にダウンを着た数人の女子高生が座り、若者たちが半円形に取り囲んで体を揺らしていた。

「…」

 夏彦はいい顔をしていた。腕は高校生の頃より一段と上がっている。二人は無言でタクシーに乗って行先を告げた。夢を断念させた負い目から解放されて、思いがけず清々しかった。

「この寒い中、演奏を聴く人がいるのですねえ」

 慎一が運転手に声をかけると、世間話のつもりなのだろう、

「毎晩ですよ、私らにとってはやかましいだけですがね」

「でも、ああやっててプロになる例もあるんでしょ?」

「お客さん、世の中そんな甘いものじゃありませんよ、演奏も歌も大したことないですからね、就職するとき後悔するんじゃないですか?もっと有意義なことしておけばよかったって」

「ちょっと運転手さん!」

 慎一は大声を出した。

「夢を持たない若者はつまらないですよ」

 ここで降りますと千円渡して、二人は乗ったばかりのタクシーを降りた。