スクープ

令和02年02月21日

 夜の路肩に停めた黒いワゴン車の中から、近藤記者と村瀬カメラマンは、道を隔てた高層マンションの玄関を辛抱強く見つめていた。やがて一台の車が滑り込み、

「来た!」

 助手席から身を乗り出すようにして村瀬が望遠カメラの連写シャッターを押した。ヘッドライトを横切って素早く助手席に乗り込む人影を、高性能の赤外線レンズは逃さなかった。野球帽を目深に被って、サングラスから下をマスクで覆ってはいるが、それが一条由美香であることは夜目にも明らかだった。

「妻が妊娠中の中堅俳優と、十八歳も年下の売れっ子タレントとの不倫だ、今夜こそ徹夜してでも決定的瞬間を撮るぞ!」

 一睡もしないでチャンスを待ち、ようやく撮影に成功したのは、翌朝の未明だった。油断したのだろう。県境を越えた辺鄙な山裾にあるラブホテルから、無防備に体を寄せ合って出て来る正木潤一と一条由美香の写真は、週刊春秋のトップを飾り、近藤圭一は複数のワイドショーから出演依頼を受けた。

「いやあ驚きました。だって正木潤一さんも一条由美香さんも清純なイメージで売ってる人でしょう?しかも正木さんの奥様は二人目のお子様を妊娠中です。多くのファンは裏切られた気持ちだと思いますが、週刊春秋さんはいつ頃から目を付けていたのですか?」

「映画の舞台挨拶を取材した折の二人の様子で直感しました」

 コメンテーターの席に座った近藤は得意満面だった。

「今、VTRが流れていますが、ちょっと止めて下さい、このシーンですね?私なんか、ごく普通のショットに見えますが…」

「好意を寄せ合っている男女の視線は絡み合いますからね」

「長年の芸能記者の勘ですね。しかし決定的瞬間を撮るのは大変だったんじゃないですか?」

「見つかれば芸能生活を断たれますからお二人とも慎重です」

 と前置きして、パンと缶コーヒーで夜を明かした苦労話のあれこれを披露したが、そのお昼のワイドショーをレストランカフェで観ているカップルがいた。

「私ね、ああいう芸能記者が大嫌い!不倫は良くないけど、プライベートな問題でしょ。当事者が当事者の考えで決着をつければいいのよ。いい年をして有名人の不倫を暴くことを職業にしているなんて人間として最低よ。二人の芸能生活だけじゃないわ。正木潤一の家庭は壊れ、一条由美香の両親だって娘を自慢に思っていた分、大変な目に遭うと思う。大勢の人生を狂わせる権利があの卑しい顔をした芸能記者にあるとは思えない」

 そうでしょ?と目の前の慎一を見たが返事を待たず、それにね…と亜紀は話を続けた。

「こういうスキャンダルってね、政治から国民の目を逸らしたいときに出て来ると思わない?これで国民の関心は例の内閣府副大臣の汚職疑惑から離れる。週刊誌の上層部にはきっと政治的圧力が働いてるのよ。スクープがそんなふうに利用されていることも知らないで、あの近藤圭一という記者は、取材の苦労話を得意そうに話してる。犯罪者でもない芸能人を徹夜で見張るエネルギーは副大臣の取材につぎ込むべきだわ。そうでしょ?ねえ慎一…あれ?やだ、慎一も近藤だったわね」

 言われた慎一は、実は近藤圭一が自分の父親であることを正直に打ち明けることができず、曖昧に笑って見せるのが精一杯だった。