セクハラ

令和02年02月27日

 二学期を終えて開催された飲み会の趣向は秀逸だった。

「え~、何人かの座布団の下に秘密の指令が忍ばせてあります。こっそり読んで、書いてあるミッションを実行して下さい」

 孝臣が座布団の下を探ると、二つ折りの小さな紙片があった。

『七時半になったら立ち上がり、宴たけなわではありますが…と大声で前置きして、何か一言お話し頂いたあと、改めて乾杯の発声をお願いします』

 こんな紙片が、飲み放題の二時間の制限時間に六人…つまり二十分に一人の割で忍ばせてあったらしい。

 一定の間隔で思いがけない人が立ち上がり、趣味の話、失敗談、気の利いたジョークを披露しては、

「乾杯!」

 とやったものだから、参加者はしたたかに飲んで、食べて、しゃべって、笑って、かつてない盛り上がりを見せた。

「杉浦先生、どうですか?私の企画…」

 幹事の真紀がコップとビール瓶を持って孝臣の隣に座った。

「あ、私はこれをやってます」

 孝臣がお猪口を目の高さに掲げると、

「じゃ、私もお酒を頂こうかな?」

 真紀が近くにあった杯を持って差し出したために、孝臣が先に注ぐはめになった。真紀はもう相当できあがっている。

「川村さんの発案だったんですね?いやぁ、これは最高の企画です。今年は私が大学の教員の忘年会の幹事ですから、このアイデア、必ず使わせてもらいますね」

「先生にそう言って頂くと、何より嬉しいです」

 真紀は夜の専門学校で教わる複数の非常勤講師の中で、誠実な人柄の杉浦孝臣に、以前から特別な感情を抱いていた。

 孝臣の傍らを離れずに、二合特利を二人で五本倒して、お開きになった時には真紀の足元はおぼつかなかった。

「大丈夫ですか?さあ、私の腕につかまって」

 二人は地下鉄の駅が一緒だった。孝臣に半ば体を預けてふらふらと歩きながら真紀は幸せだった。五つ年上の独身男性の体温は、真紀に激しい好意として伝わった。授業中に時折、教壇の孝臣と絡み合う視線にも意味があったのだと思った。

 反対方向の電車に乗るはずの孝臣は、わざわざ同じ列車に乗り込んで、真紀の降りる駅まで送ってくれた。

「先生、ありがとうございました。もう大丈夫です」

 改札を出たところで手を振る真紀に、手を振りかえして階段を降りる孝臣の後ろ姿は、真紀の恋心に火をつけた。

『先生のお気持ちを知って真紀は幸せです。是非二人きりで会える夜を作って下さいね、お待ちしています』

 授業内容について質問をしたいからと以前聞き出していた孝臣のアドレスに思い切ってメールをすると、

『お気持ちは嬉しいですが、私にはお付き合いをしている女性がいます』

 思いがけない返事が来た。真紀は逆上した。逆上した勢いで孝臣の大学の事務局を調べて長文のメールを泣きながら送った。

 翌日、杉浦孝臣を応接に呼び出した事務長は、

「先生が夜、教えに行っていらっしゃる専門学校の女子学生から、身体接触を伴うセクハラを受けたと抗議が来ています」

 これは困ったことになりますよ…セクハラは訴えた者勝ちですからねと声を落として言った。