プロの介護

令和02年03月04日

 学生の減少が一定限度を超えれば専門学校の経営が破綻するのは当然だったが、教員の多くが職を失う中で、有料老人ホームの介護部門の責任者への就任が決まったのは、これまでの実績が評価された結果だと敦子は自負していた。看護師の資格を持って教員に採用され、介護福祉士を目指す学生の教育に十二年間携わった。その間に執筆した『プロの介護』という本は、複数の専門学校の教本として使用され、岸田敦子の薫陶を受けたたくさんの教え子たちが介護現場で活躍していた。

「介護に必要なのは想像力です。目の前の人が何を望み、何を嫌がっているか、それを想像する力さえあれば、虐待などは起きようがありません」

 敦子の持論は多くの支持者を得て、最近では県を超えて講演依頼も増えている。

「恩師である岸田先生の下で働けるなんて夢のようです!」

「私は先生に直接教わってはいませんが、先生の本を読んで介護の道を志しました」

 招かれた老人ホームにも敦子の信奉者が大勢いた。

「私、岸田敦子と申します。長年人材の育成に携わっていましたが、今日からは介護部門の責任者として現場の指揮を取らせて頂くことになりました」

 介護は想像力だという就任の挨拶は熱い拍手で迎えられたが、就任後しばらくして介護職員の数人が体調不良で同時期に休んだ。派遣職員で不足する分は敦子が埋めることになった。

「岸田先生が現場に入って下されば安心です」

 期待されて深夜勤務に従事した認知症のフロアに、岡村君子という車椅子の女性がいて、一晩に五十回を超えるナースコールで介護職員を悩ませていた。

「君子さんは前妻の息子さんから疎まれて淋しいのです。頻回なコールは、淋しいよ~という訴えだと思って下さいね」

 朝の申し送りで繰り返される介護職員の報告に、敦子はそう助言して微笑んでいたが、実際に勤務するとそんな訳にはいかなかった。

 トイレに行きたい、寝返りを打ちたい、水が飲みたい、腰が痛い…コールを鳴らす理由は多彩だった。呼んでおきながら、ベッドから車椅子に移るときも、車椅子から便座に移るときも、

「痛い、痛い、痛い」

 あなた、もっとやさしくできないの!と、君子は険しい顔で敦子を睨み付けた。認知症の症状だと分かっていても、一人の人間が全身で表現する怒りの感情は敦子を怯ませた。ベッドに寝かせつけて執務室に戻ると、すぐにまたコールが鳴った。

 敦子は自分の感情を殺した。反応する自分の心の方を封印すれば、君子の言動は敦子を傷つけないはずだった。しかし能面のような顔で車椅子を押す敦子の心は死んではいなかった。

「それじゃ、便座に移りますよ」

 君子の体を支え、ズボンの後ろを持ち上げたとき、

「痛い、痛い、痛い、あなた、何てひどいことするの!」

 君子が大声を出して、怖ろしい顔で敦子を睨みつけた。

 敦子は手を離した。

 鈍い音を立てて君子が崩れ落ちた。

 骨盤を骨折した君子が救急入院した事実は、介護事故として処理されて誰も悲しまなかったが、それが事故ではない真実を知っている敦子は翌月付けで退職した。