報道の使命

令和02年03月05日

 出勤して来た柴田が、

「いや驚きました。近所のスーパーのトイレットペーパーの棚が空っぽなんです。何が起きてるのでしょうね?」

 と世間話をしたのが発端だった。

「ウィルスの流行でマスクが売り切れるのは分かるが、何でトイレットペーパーなんだ?」

「だから不思議なんですよ。他のスーパーはどうでしょう?」

「うちの近所の店はいつもと変わらなかったわよ」

 宮崎が言い終わらないうちに、松崎デスクの大声が響いた。

「よし!柴田はスーパーの取材だ。カメラを連れていけ。客の声を拾うのを忘れるなよ。ついでにいくつかの店を回れ」

「はい!」

「宮崎はトイレットペーパーの製造工場で話を聞け!あれは国産だ、ウィルスで不足するはずがない」

「了解です!」

「佐伯はネットで関連記事を探せ、デマが飛んでる可能性がある。結果が揃ったら午後から編集会議だ」

 市中に散ったスタッフがそれぞれの取材結果を持ち寄って、会議室に集まったのが午後二時だった。

「取材した三店舗では売れ切れていました。話を聞いた主婦は、いつもの店で売り切れだったから別の店で多めに買うと言っていました。みんなが多めに買えば品薄になりますよね」

「製造工場では在庫が大量に積まれていて問題はありませんでしたが、注文が増えると流通が追い付かないそうです」

「ネットでは、ついさっきトイレットペーパーが不足するという書き込みが拡散し始めました。根拠はありません。品薄に驚いた人の書き込みが拡散しているようです」

「よし!夕方のニュースで取り上げよう。新しい動きだ!柴田のおかげで他社より一歩抜きん出たぞ」

「しかし、報道すれば却って不安を掻き立てませんか?」

「不安を掻き立てるのが目的ではないよ。トイレットペーパーが不足するという書き込みがSNSで拡散しているが、工場には在庫が積み上げられていて問題はないという事実を報道するんだ。不安は事実で払拭するしかないからね」

 それが報道の使命だよと言う松崎デスクの正論には誰も反論できないまま夕方のニュースが放映された。

 スーパーの空の棚を前に、

「いつものように買い物に来たらトイレットペーパーが売り切れでしょ?驚いちゃって…早速、別のスーパーで多めに買っておこうと思います」

 インタビューに答える主婦の顔は、段ボールの箱が山のように積み上げられた製造工場の倉庫に切り替わり、

「トイレットペーパーは国産なので、決して品薄にはなりません。風評に惑わされないようにと工場長は話しています」

 女性アナウンサーが落ち着いた声でそう言った。

「工場にはあるって言ったって、スーパーになきゃ困るわよね」

「そうよ、高いものじゃないから、少し買い溜めておいた方がよさそうね」

「私もそう思って買いに行ったらさ、もう売り切れちゃってるのよ、やっぱり不足してるんだわ」

 全国のスーパーからトイレットペーパーが消えるのに報道から五日とかからなかったのである。