英断の炎

令和02年03月10日

 八十歳を超えた年寄りたちが、こんな大雪は見たことがないと口々に呟いて今日も降り続く灰色の空を見上げた。除雪機が勢いよく吹き飛ばした雪が、幹線道路の両側に高々と白い塀を作っていた。住民はカラフルな雪用スコップで終日生活道路の確保に従事したが、翌朝には一面の雪景色をかき分けて、まずは駐車場に車を掘り出しに行かねばならなかった。

 休校になった小学校では教員たちが会議室に集まって眉間にしわを寄せていた。

「各家庭では屋根の雪下ろしで大変ですが、頼れる親戚のない八世帯の母子家庭は放っておけません。担任の先生は町内会にお願いするなどして、生徒の安全の確保をお願いします」

 それから…と溝口教頭は全体を見渡して、問題は体育館です。

 と沈痛な表情で言った。

「鉄筋の校舎は雪の影響は受けませんが、体育館は柱なしで広大な屋根を支えています。形状がアーチであっても、雪の重みが一定限度を超えればひとたまりもなく崩れ落ちるでしょう」

 実はその対策が困難で…と言い終わらぬうちに、

「私に一つ考えがあります」

 滝沢校長が立ち上がって、思いがけない提案をした。

「本校には二百五十世帯の児童生徒が通っています。一世帯一つ当て灯油ストーブをお借りして体育館で炊きましょう。暖気は上へ上りますから屋根の雪はきっと融けると思います」

「しかし、どこの学校にもそんな例は…」

 責任は私が取るという校長の一言で提案は実行に移された。

「…入学式、終業式、始業式、卒業式…。かつてここで校歌を歌った懐かしい体育館を、どうか皆さんの手で救って下さい」

 滝沢校長の訴えは、集まった保護者たちの胸を打った。

「よし分かった!一人ずつ持ち寄ったのでは混雑するから、PTAの役員で地区毎にまとめて搬入しよう」

「うちが軽トラックを出しますよ」

「できれば皆さん、灯油もひと缶ずつお願いしますよ」

 有志が調達した二台の家庭用の除雪機と、二十人を超す保護者たちがスコップを振るって圧雪の道をこしらえた。その道を何台もの軽トラックが往復して、大量の灯油ストーブと赤や青の灯油缶を体育館に運び込んだ。体育館の広い床に、名札を貼りつけた灯油ストーブがびっしりと並んだ。次々と点火されると、たくさんの善意の炎が整然と揺れた。

「美しい…」

 立ち会った教員と役員は息をのんだ。

 換気のために開け放たれた地窓から侵入した冷気は、暖められてたちのぼり、屋根の雪をじわじわと融かし始めた。雪は突然、たまりかねたようにアーチ状の屋根を音を立てて滑り落ちた。七日間降り続いた雪で、この地方の体育館は軒並み倒壊したが、滝沢校長のところだけは雪景色の中で無傷で立っていた。

『校長の英断、豪雪に勝つ』

 滝沢は一躍、時の人になって退職したが、三年ほどで事情は一変した。

「他の学校はどこも新品の体育館なのに、うちだけどうしてこんなにおんぼろなの?」

 不満を漏らす新入生たちに、教員たちは返す言葉もなかったが、脳裏には体育館の床を埋め尽くしたストーブの炎が美しく揺れていた。