寝言

令和02年03月17日

 残っている四人姉妹の、三人までが欠席するというのに、

「お母さんったら、通夜にも葬儀にも出るっていうのよ」

 耳の遠い八十四歳が出席したら、却って迷惑だとは思わないのかしら…と、朋子は腹立たしそうに俊彦に言った。

「駅までは自分で来るけど、会場は交通の便が悪いので、通夜に送って行って、わが家で一泊させて、翌日また葬儀に送って行くことになるわ。私が運転できればいいのに…悪いわね」

「ちょうど土日で予定もないから俺は構わないよ。しかし他の姉妹が全員付き合いを断っているなんて、よほどのことだね」

「私も達子おばさんは大嫌いだわ、とにかく昔からいい加減な作り話で大切な人間関係を壊す癖のある人なのよ」

 咲子にも苦々しい思い出がある。

「咲っちゃん、ちょっと、ちょっと」

 あのとき従妹の披露宴会場のトイレで出会った達子は、辺りを憚りながら手招きをしてささやいた。

「咲っちゃん、あんまり親を悲しませたらあかんよ。咲子なんてあのまま流産してたらよかったんやって、お母ちゃん後悔しとった。そんなこと言うもんやないって叱っといたけどな」

 それ以来、咲子は母親に複雑な感情を抱くようになった。中学時代の咲子は、勉強でも生活態度でも、普通の女の子並みの反抗期を過ごしたが、あのまま流産してたらよかったという言葉は咲子をひどく傷つけた。大人になって、流産は達子の作り話であることが分かったが、母親にわだかまりを抱いて過ごした年月は、母と娘の関係を歪めたまま今日に至っている。

「達子さんという人はとんでもない嘘をつく人だったんだね。お義母さんは被害に遭わなかったんだろうか…」

「あの人だけ無傷の訳がないと思うけど、気の弱い八方美人だから、葬儀を断る勇気もないまま出席の返事をしたんだと思う」

 八十四歳の八方美人は、約束の時間に、咲子と俊彦が待つ改札口から喪服の背を伸ばして出てきたが、聴力は一段と衰えて、会話はなかなか成立しなかった。

 通夜が済んで、ばらばらと斎場を出て来る黒い集団の中から、ひときわ小柄な朋子が足早に俊彦の車に乗り込んだ。

「どうだった?お通夜は」

 と言っても朋子には聞こえない。

「どうだった!お通夜は!」

 咲子が耳元で大声を張り上げると、

「達子は別人のように痩せとったわい!」

 朋子も負けないくらい大声で答えて俊彦を驚かせた。

 その夜、朋子は咲子のマンションの和室に泊まった。先に風呂を遣って床に入った朋子が、深夜に誰かとしゃべっている。

 午前二時…。携帯電話をかける時間ではない。

 廊下に出て耳をそばだてた咲子と俊彦は顔を見合わせた。

「達子!私は絶対にあんたを許さんぞ!許さんでな!」

 語尾まではっきりと聞こえる寝言だった。

 朋子と達子との間にいったい何があったのだろう。

 長いこと朋子を苦しめた姑との確執に、達子が関係していたのだろうか。それとも、夫が脳出血で死ぬまで続いた夫婦喧嘩の明け暮れに、達子が関わっていたのだろうか。

 翌朝、朋子は何も語らずに葬儀会場に消えたが、

「母さんは達子おばさんの冥福を祈っているんじゃない…」

 咲子は背筋が寒くなるような思いでそう直感した。