告発

令和02年04月02日

『吉村君が青木君と坂本君にいじめられています。トイレで土下座しているところを何人かが見ています。給食では嫌いなものを無理やり食べさせられています。助けてあげて下さい』

 教員室の机のパソコンの下に隠すように置いてあった四つ折りの手紙を読んだ須藤は、早速吉村を呼んで事情を聞かなくては…と逸る気持ちを危うく思いとどまった。手紙には差出人がない。パソコンの印字では筆跡を追うこともできない。そんな告発を信用していいだろうか。あるいは手紙自体がクラスの人間関係の攪乱を狙った愉快犯の仕業かも知れないではないか。

「どう扱ったものでしょうか?」

 思い余って学年主任の馬淵に手紙を見せると、

「ふむ…。まだ上に伝える段階ではないですね。まずは真偽の確認です。三人の行動を慎重に観察して下さい。青木の父親は市会議員です。息子がいじめの加害者として疑われているなど知ろうものなら、いじめ以上に困ったことになりますよ」

 それから…と馬淵は声を落とし、

「この件が不用意に教員間に広がると、手に負えない事態に発展し兼ねません。事実が明らかになるまではくれぐれも内密に」

 と言ったあとで、それにしても手紙は厄介ですね…とつぶやいた。確かに手紙の存在は、万一いじめが深刻な形で表面化した場合、対処の遅れの証拠になる。宛先も差出人もない四つ折りの紙切れなど、うっかり捨ててしまったと言えば済む。

 須藤は手紙をシュレッダーで処分した。

 慎重に観察しろと馬淵は言うが、中学校で担任が生徒の行動を極秘裏に探るのは至難の技だった。誰かにいじめの有無を尋ねれば、それが信頼できる生徒であっても必ず誰かに漏らす。漏れれば憶測が憶測を呼んで収拾不能になる。そもそもが隠れて行われるいじめを教員が発見する機会など無いと思った方がいい。結局、被害者である吉村に尋ねるほかないが、

「ふざけているだけですよ。いじめなんかじゃありません」

 報復を恐れて大抵は笑って否定する。考えあぐねる須藤の前で、いじめはある日、給食の時間にあっけなく露呈した。

「青木君、坂本君、何をやってるんですか?」

「吉村くんが肉が苦手なので野菜と交換してるんです」

「三人ともあとで職員室に来て下さい」

 吉村が肉が苦手かどうかは保護者に聞けばすぐに分かると追及すると、青木と坂本はあっさりと事実を認めて謝罪した。

「でも先生、これはいじめじゃなくていたずらですよ。な?」

 と青木に促されて吉村は曖昧に頷いた。相手が嫌な思いをしていれば、いたずらではなくていじめなのだと諭し、今週中に反省文を提出するよう二人に命じて吉村と握手をさせた。

 これで一つは手を打った。青木も坂本も、しばらくは慎むだろうと予想したが、二度と相手の嫌がることはしないという反省文が提出された日、吉村が学校のトイレで首を吊った。

『こんな世の中、もう嫌です、さようなら』

 短すぎる遺書に吉村の絶望が表れていた。

 やがて手紙の差出人である女子生徒が調査委員会に文面を公表したことで、マスコミを挙げて大変な騒ぎになった。

「心ある告発を担任一人で抱えこんだのが間違いでした」

 今後は一層の情報の共有を徹底し、教員がチームとして対処して行く所存ですと、校長と教頭と馬淵学年主任がたくさんのカメラの前で深々と頭を下げた。