青かび

令令和02年04月18日

 年に一度、故郷の寺から封書が届く度に、俊彦夫婦は不愉快な気持ちになる。

「今年も間違ってるわね」

 美津子が気の毒そうに言った。

「ああ、敏じゃなくて俊だと、昨年も住職に電話したのに、全然直ってない。有り難いはずのお供え餅だけど、封筒の宛先が毎年間違っているんでは、法要に参加しなかったことを非難されてるような気がしてやりきれないよ」

「住職は高齢だもの。電話しても無駄だと思うわよ。法要を欠席した遠方の檀家にお供えの餅を送るのは、恐らく役員の仕事だし、あなたが電話してから一年が経つんだもの…」

「おれが電話したとき、住職がすぐに名簿の名前を改めるべきたったんだよ。役員は名簿を見て宛名を書くんだからな。結局、住職に誠意がないんだ」

「今年もカビてるかしら?」

 と言いながら美津子が封を切った白い封筒からは、案の定、青かびがまだらに生えた丸餅が転がり出て胞子が舞った。

「仏前に供えられた餅だけど…処分してくれ」

 と命じた俊彦は、おれ、檀家をやめようかな…と言った。

 昨年も言った。

 確か一昨年も言った。

 かねて葬儀は無用と遺言して、やがて認知症になり、三年前に俊彦の住む名古屋のグループホームに入居した母の文子は、墓参りはおろか、故郷のこともすっかり忘れてしまっているから、寺がなくても差し支えはない。しかし、祖父母も父親も、あの住職の読経で弔われた。先祖が代々所属して来た檀那寺との縁を、俊彦の一存で断ち切ることはやはりためらわれる。

 スマートホンを取り出した俊彦が、餅の封筒に印刷してある寺の番号に電話をかけ始めた。

「あなた、こんな時間よ。それに檀家をやめるのなら電話より手紙の方がいいと思うわ」

「いや、もう一度名前の間違いを指摘して、ついでに青かびのことも話しておこうと思う」

 俊彦はスマホを耳に当てた。

 浄真寺の本堂では宗純の読経が聞こえていた。

 八十歳になった頃から宗純は、経文を一行飛ばして読んだり、同じ行を二度読んだりするようになった。誰も気か付いてはいないが、宗純自身は自覚して、寝る前の読経を欠かさない。

 田舎は高齢者ばかりになって葬儀が増えると思いきや、衰弱した年寄りは子どもたちが都会の施設に引き取った。家族葬も増えた。檀家も減った。散骨や樹木葬をした家族の多くは法事をしなかった。

 宗純は東京でサラリーマンになるという一人息子の宗雄を勘当せんばかりに叱りつけたために、思うように孫にも会えないが、寺など継がなくて良かったのだと母親の澄子は思っていた。これでは生活が成り立たない…と、そこへ電話がかかってきた。

 夜も更けた時間帯の電話は葬儀に違いない。

「あ、はい、藤沢さんですね、ち、ちょっとお待ち下さい。今住職に代わります」

 お父さ~ん、名古屋の藤沢さんからですよ!という、ひどく嬉しそうな声が俊彦の耳にかすかに聞こえて来た。

 俊彦はその晩、丁重に檀家をやめる手紙を書いた。