スクラップ

令和02年04月22日

 この春、全ての役職を降りて一人の高齢者になった高峰大吾は、書斎の床に広げた新聞の切り抜きや写真の山を整理しながら、これまで味わったことのない感慨に浸っていた。

 自伝的でありながら社会の歪みを鋭くえぐった小説『伏流水』で賞を取り、祝賀会の写真の中で晴れがましく笑う三十二歳の大吾は、それを眺める四十年後の大吾とは別人だった。黒々と耳を覆う髪の毛は白く頭頂部まで後退し、体型はキリストが布袋になったかと思うほど違っていた。

 次作『土の船』の単行本化を担当した出版社の三崎伸江は、大吾の妻になって一男一女を育て上げたが、古希を迎えた今は、大吾の求婚を受け入れたときの溌剌とした面影はない。

 年月は容赦なく大吾の肉体に老いの刻印を押して行くが、栄光の過去は壁を飾るたくさんの賞状に定着していた。書棚にずらりと並ぶ書籍になって実在していた。大量の写真にも新聞雑誌のスクラップにも大吾の生きた足跡は残されていた。

「おい、伸江、ちょっと来てみろよ」

 大吾は窓を開けて花壇の手入れをしている妻を呼び、黄色く変色した新聞の切り抜きを見せた。

『中央公園完成~市民の運動みのる』というタイトルの記事を見た伸江は、

「ん?ああ、そう言えばこんなことあったわねえ…」

 かろうじて三十年前を思い出した。

 郊外に広大な駐車場を備えた近代的な市役所が完成し、老朽化した木造庁舎を壊して図書館を建てる計画が進んでいることを市会議員から聞いた大吾が、異を唱える文章を地方紙に寄せた。図書館なら県立図書館が市内にあるが、災害時に市民が避難する場所がない。庁舎の跡地は、テント、寝袋、簡易トイレ、非常食を初め、十分な生活物資の備蓄倉庫を地下に持つ公園にすべきではないか。郷土の新鋭作家の意見は紙面に大きく掲載され、やがて市民運動に発展した。恐らくは図書館建設を巡る利権が政治を巻き込んで、既定路線になっていた市の計画は、度重なる話し合いを経て中央公園を整備することで決着した。

 話し合いの中心には常に大吾がいた。

「暴力団みたいな男から脅迫めいた電話や切り貼りの手紙が届いて、お前にも子どもたちにも恐ろしい思いをさせたよな」

 大吾の脳裏には、怯える伸江の表情までが蘇っていたが、

「そうそう、昨日お隣からドイツのお土産が届いているわ」

 顔を見たらお礼を言ってねと、伸江は過去に関心はないらしい。記事には開園式のテープカットの写真が載っていたが、挟みを持って並ぶ市長以下正装した関係者の中に大吾の姿はなかった。写真には写ってはいないが、公園は紛れもなく自分が造ったという自負が大吾にはあった。しかし三十年が経った今、それを知っている市民はどれほどいるだろう。大吾は翌週の日曜日、青空の下を公園まで散歩に出た。ベンチに腰を下ろし、楽しそうに芝生で遊ぶ子どもたちや親子連れを眺めた。

「ここにもおれの生きた証がある…」

 と思った時、突然側頭部に激痛が走り急速に意識が遠のいた。

 近くのベンチの主婦たちが数人駆け寄った。

「大変!あ、動かさない方がいいんじゃない?」

「もしもし、救急車をお願いします。中央公園です。お年寄りが倒れました。いえ、スリッパですから近所の人だと思います」

 郷土の作家の死亡は翌朝の新聞で小さく報じられた。