結跏の会

令和02年05月04日

 拍手に包まれながら純三がステージを降りると、

「先生、はるばる山口までご指導有難うございました。年に二度、こうして存在そのものに成り切る体験を持つことで、みんな自分を取り戻します。次回の八月もよろしくお願いします」

 五人の役員たちが取り巻いて、足首まである真っ白なインドの民族衣装を脱ぐのを手伝った。

 純三が代表をしている『日本結跏の会』は宗教団体ではない。結跏…つまり座禅のように足を組んで座り、純三の誘導で、ゆっくりと精神を「存在」という抽象まで研ぎ澄ますことで、根源的な不安から自我を解放しようとする、いわば体験型の修養団体であるが、まずは地域に純三を師と仰ぐ小さな団体ができて事務局を置いた。宗教臭がないことと、誰でも参加できる簡易さで、やがて短期間に全国にたくさんの支部が展開して純三は多忙になった。

 存在は時間と同意義であり、時間は変化を測る単位である。従って存在は変化であるという三段論法で純三が執筆した釈迦の無常観の解説は、会員が購読する季刊テキストの巻頭に掲載されて、『日本結跏の会』のバイブルのように扱われていたが、会の隆盛は純三のカリスマ性に負うところが大きかった。

「全ては移り変わるからこそ存在します。存在は変化の別名なのです。変化を怖れれば存在は不安の別名になります。さあ一緒に座りましょう。心を鎮めて変化に身を任せるのです。変化そのものに成り切れば、変化を恐れる不安は消え去ります」

 参加者は、不安から解き放たれた者が発するオーラを純三に感じていた。それがカリスマ性だった。ゆっくりと純三が数を数えると、会場を埋め尽くす参加者は、ある種の集団催眠状態に陥って、理屈を超えた安寧を実感した。

 翌週は盛岡市の予定が入っていた。スーツケースを手に、東京駅の雑踏を山手線に向かう純三は、ジーパンにポロシャツ姿のありふれた高齢者だった。マンションの鉄のドアを開けて、

「帰ったよ」

 純三が玄関へ入ると、トイレの戸が開いていて、妻の淳子が母の喜代子を車椅子に移乗させたところだった。

「もう、お義母さんたら、運動不足で体重が増えて、トイレ介助が一苦労よ。結跏の会だか何だか知らないけど、少しは活動を減らして手伝ってくれたらどうなの」

 あなたの親なのよ、と淳子が怖い顔をした。

「仕方がないだろう。代表としての責任がある。全国の会員が私を待っているんだ。それに会から入る収入も少なくない」

「私もあなたも教員を勤め上げて、お義母さんの分も合わせたら年金は月額五十万近くあるわ。三人が生活するには十分よ。あなたが全国を飛び回って先生先生と言われている間、私は車椅子のお母さんの世話でどこにも出かけられやしない。おカネなんかいくらあったって使い道がないじゃない」

 純三は冷蔵庫から取り出した缶ビールを開けた。

「聞いてる?」

 いつもの会話だった。

「だからおふくろにはデイサービスか施設を利用してもらってだなあ…」

 と純三が言おうとすると、

「私はどこにも行かんでね!」

 居間からやがて卒寿になる喜代子の大声が聞こえて来た。