毒蚊

令和02年05月11日

 その日、急遽編成された対策委員たちは、会議室のスクリーンに映し出された大小二匹の蚊の写真を見て途方に暮れていた。

「左のは随分小さいですが、こいつが…犯人ですか…」

「一般的な蚊の半分ほどの大きさです。亡くなった人の腕や足などの露出部分に、共通して小さな虫刺されの跡を発見するまでに時間がかかりました」

「それにしても、どうしてこんな蚊が?」

「外国の報告もありませんから、突然変異でしょう。毒性は恐らくスズメバチの数十倍ですから、血清ができたとしても刺されれば短時間で死ぬ確率が高いと思います。刺されないようにすることと、成虫と卵と幼虫を一斉に駆除する必要があります」

「発生地は?」

「不明ですが、ご承知のように蚊は池や水溜まりに産卵して、十日程度で羽化します。寿命は二週間ほどですし、生息範囲も広くはないですから、対処方法としては徹底的に駆除することと、刺されないようにするしかありません」

「犠牲者は川北地域限定で今のところ十六人ですが、早急に対処しないと、これからどんどん増えるでしょう」

「まずは広報ですね。蚊の写真と毒性と刺されないための方法の提示。活字媒体だけでなくテレビやラジオ、若い人向けにはSNSの活用も必要です」

「駆除は専門の業者に委託ですね」

「しかし八月には川北の緑地公園で市が主催する大きな野外イベントがあって、花火や出店やコンサートなど、既に準備が進んでいます。広報すれば当然イベントは中止しなければなりません。とりあえず駆除を徹底して犠牲者の発生の推移を見てから広報という流れの方が賢明ではありませんか?」

「人の生命の問題ですよ。イベントどころではないでしょう」

「しかし中止したら契約不履行で損害賠償ですよ。たかが蚊です。数もまだそんなに多くない。駆除が成功して結果的にイベントが可能だったということになれば非難は免れませんよ」

「まあまあ、ここはひとつ、市長のご判断ということで…」

「いや、市にも潤沢に財源がある訳ではありません。市民がパニックになって混乱しても困ります。その中で方向を見出して頂くために組織した対策委員会です。もう少し検討して下さい」

「確かに、財政の問題も市民の反応も無視できませんね」

「蚊に刺されるのを怖れて市民が極端に外出を控えるようになっては、経済活動にも影響が出ます。影響が出れば行政に補償を求める可能性も想定しなければなりません」

「広報が効果的であればあるほど、マスコミも殺到するでしょう。レポーターが防護服を着て大袈裟に報道すればパニックは全国に広がるでしょう。政治は結果責任ですから、イベントを中止し、駆除も広報も徹底して短期に終息すれば、過剰反応だったと非難されます。広報しないまま駆除に失敗すれば対策の遅れを非難されます。どちらにしても難しい判断ですね」

「あんなに小さな蚊です。市民に注意喚起すれば、網の目の細かい網戸を作れとか、殺虫剤を支給せよとか、生態系を崩さない駆除方法を考えろとか、様々な意見や要望が出るでしょう。これは独立した対策室の設置と予算が必要ですよ」

「議論は尽きませんが、もうこんな時間です。皆さんには明日また同じ時間にお集まり頂いてご検討願いたいのですが…」

「申し訳ありません。私、明日は外せない予定が入っています」

「では来週中で調整ということでよろしいですか?都合のつく曜日をおっしゃって下さい」

 次回の委員会が開催されるまでに次々と毒蚊の羽化が続いている。