アイスクリーム

令和02年05月26日

 落胆するからだろうか、グループホームに房子を見舞った帰りは、謙一の運転はいつだって助手席の陽子を不安にさせた。

「ねえ、喫茶店で甘いものでも食べようよ?疲れたんでしょ?」

 盛んにあくびを繰り返す謙一に、いつものように陽子が提案して、二人は喫茶店で一つのアイスクリームを挟んで向き合った。若者向けのアイスクリームは、スプーンをもう一つもらえば二人で丁度良い量だった。

「びっくりしたわね」

「ああ、ショートケーキをミキサーにかけるなんてなあ…」

 消化器系のトラブルとか嚥下機能の衰えではなかった。

 房子は歯の不具合で、少しでも固形物を口中に感じると出してしまう。しかし認知症の進んだ房子に入れ歯を作る歯科医はいない。結果的に栄養が不足するのを避けるため、昨日からミキサーを使ってでも食べてもらうことにしたのだと職員から説明を受ければ感謝するしかないが、これで面会の度に、喜びそうなおやつを買って行く楽しみはなくなった。

「みんながイチゴの乗ったショートケーキを食べているのに、自分だけどろどろの黄色いものを口に運ばれるのは悲しかっただろうに、文句言わずに食べてくれたから有難かったわね」

 健一は、それも認知機能の衰えだと思っている。他人と比較して自分の状況に好悪の感情を抱く能力が欠落したのだ。

 里心がつくといけないと思ってこれまでは避けていたが、謙一はその日、思い切って房子に故郷の動画をスマホで見せた。

 陽子は折り紙を折って別の利用者の相手をしていた。

「すると二十年以上も保存会に入って夢中になっていた民謡も、子どもの頃から親しんだ春祭りの神楽も覚えていないんだよ」

 過去が記憶でできていて、それが、自分が何者であるかという意識の根拠だとしたら、認知症は存在の座標を奪う致命的な脳の変質ということになる。

「でも、あなたの顔を見るとお義母さん、心から嬉しそうにするわ。母一人子一人だもの…。今じゃあなたとの関係だけがお義母さんの存在の座標なのよ」

 面会した事実は覚えていなくても、会っているときの喜びはお母さんの真実なのだから、来週も会いに行かなきゃね、と陽子に励まされながら、翌週は健一の発案で、おやつではなく玩具を買って面会に行った。声や拍手の音に反応して、小さなぬいぐるみの犬がキャンキャンとなきがら数秒間歩く愛くるしい玩具は、思いのほか喜ばれて、普段は会話のない利用者が、

「ほれ!こっちへ来い」

「可愛いねえ~機械で動いてるんだろ」

「落ちる、落ちる、危ないぞ」

 リビングの大きな丸テーブルを囲んで、いつになく活気を見せた。房子も犬が歩く度に笑顔で手を打って上機嫌だった。

「良かったですね、房子さん、息子さんがいいもの持って来て下さって」

 房子の車椅子の傍らにしゃがんで職員がそう言うと、房子は怪訝な顔で、謙一が来たのか?と聞いた。

「おふくろ、さっきから隣にいるじゃないか」

 謙一を見た房子は、お前、来ていたのかと嬉しそうに笑った。

 関心が別のものに向くと、つい今しがたの記憶も保存できなくなっている。

 その日、謙一と陽子はアイスクリームを二つ注文した。