栄転

令和02年07月28日

 一本五万円は下らない高級ウィスキーを送って来た、三笠総一郎という名前に心当たりはなかったが、

『息子圭一郎の入学につき何卒ご高配賜りたく…』という率直な手紙に添えて、三笠夫妻が白澤理事長夫妻と並んで笑う写真が同封されていては、校長としてさすがに無視はできなかった。

「いかが致しましょう?」

 楢崎校長からの電話を受けた白澤理事長は、

「確かに三笠くんとは家族ぐるみで親しくしているが、だからこそ、そんなもの受け取ったら不正入学を疑われるでしょう」

「もちろんお返し致しますが、圭一郎くんの入学については…」

「楢崎くん、それは校長の権限ですよ」

 意味ありげな笑いを含んだ声で電話は切れた。

 さてそうなると校長の権限だという理事長の言葉は、どう理解したらいいものだろうか…。

「校長、それは入学させろという暗黙の指示ですよ」

 不正入学はいけないとお考えならば、いけないとおっしゃるはずだという竹島教頭は、

「理事長の言葉や態度から隠れた意を汲み取るのが私立中学に勤務するわれわれの宿命です。それができない管理職は、前の校長のように、色々な理由を設けて退職に追い込まれます」

 ここはひとつ私にお任せ下さいと眼鏡越しに笑って見せた。

 ところが入学試験が済んで見ると、三笠圭一郎は面接試験のリストに載っていなかった。竹島教頭は入試担当の槇村教諭と岡本事務長を呼んで圭一郎をリストに入れるよう命じた。

「しかし教頭、筆記の成績が合格ラインに遠く及びません」

「理事長案件なんだよ」

 わずかこれだけのやりとりで三笠圭一郎の入学が決まった。これで圭一郎は、よほどの不祥事がない限り、高校から大学まで自動的に進学して行く。

「ま、親には相当の経済的負担が伴うけどね」

「それも理事長案件で特別扱いかも知れませんよ」

「確かにな」

 という一連の事実を嗅ぎつけて、その扱いについて相談したいと、若い男から理事長に電話が入ったのは、五月の連休明けのことだった。

「もちろん否定したよ。私は不正入学を指示した覚えはないし、そんな証拠もないはずだからね。相手は週刊誌の記者を名乗っているが要はカネだ。入学は校長の権限だと答えておいたよ」

 理事長から連絡を受けた楢崎校長は、

「マズいよね、事務長、どこから漏れたんだろう」

 声が上ずっている。

「恐らく本人だと思います。あの子に秘密は守れませんよ」

「入試の成績に対して情報開示を求められたら困らないかね」

 そうはさせませんと言う岡本事務長の対応は素早かった。

 入試の答案を全てシュレッダーにかけた。

 答案は三年間保存するという規定を、『個人の学力にわたる情報であることに鑑み、答案は入学選考完了後速やかに破棄すること』という内容に差し替えた。

 週刊誌の記者を名乗る男は、今度は答案を破棄した事実を執拗に追及し、岡本事務長を辞任に追い込んで攻撃は止んだ。

 その年度は病気休暇を取った岡本事務長は、翌年の春、異例の若さで大学の事務長に栄転した。