救急車

 国勢調査の調査員に任命されたが、マンションは人間が集まって住んでいる。調査なんて楽なもんだと高をくくったのが間違いだった。

 朝早く訪ねても、夜遅く訪ねても、チャイムに応答のない住人が何人もいた。郵便受けに新聞がたまっていたりすると、留守なのか異変が起きているのかが分からなかった。

「お隣りは、お留守ですか?」

 と尋ねても、たいていは隣家に誰が住んでいるかさえ知らなかった。『孤独死』という三文字が浮かんだとたんに、田舎の母親のことが心配になった。しばらく顔を見ていない。隆之は国勢調査を済ませた土曜日に故郷に車を走らせた。

「電話くれればよかったのに」

 春江はありあわせの食材を調理しながら、

「泊まって行けるんだろ?」

 と嬉しそうだった。

 父親の好物の舞茸の天ぷらを仏壇に供えて、久しぶりに親子で地酒を楽しんだ。

「淋しかったら、俺んとこへ来てもいいんだぞ」

「有難いけど、畑があるからな」

 答えは昔から変わらなかった…と、その時、救急車のサイレンが近づいて止まった。春江が勢いよく立ち上がって外へ飛び出した。隆之も追いかけるように外へ出た。通りには既に数人の住人が集まっている。みんな子供たちが田舎に残して行ったトシヨリばかりだった。

「誰や?」

「酒屋の角を曲がった」

「私、見て来る」

 走って行った一人が戻って来ると、

「文ちゃんが倒れたんや」

 血相を変えて言った。

「息子さんには?」

「知らせた。もうこっちへ向かっとる」

 明日みんなで病院を見舞おうと言い交わすトシヨリたちを眺める隆之の脳裏に、新聞のたまったマンションの郵便受が浮かんでいた。