帰省

令和02年08月15日

 電話は名古屋の武夫からだった。

「そうか、来るんかい、来るなら水着を持たせてな。墓参りはともかく、達也とみのりは川で泳ぐのを楽しみにしとったで」

「宿題は忘れても水着は忘れんよ。車で移動して、二泊三日を家族だけで過ごすんや。コロナなんか気にせんでええやろ」

 背後で孫たちの歓声が聞こえた。

 ふじゑは忙しくなった。部屋と仏壇を掃除して布団を干した。

 町に一軒だけになってしまったスーパー越後屋まで自転車を漕ぐと、一キロほどの道のりで汗が噴き出した。

 食材を物色していると、

「あれ、ふじゑさん、ようけ買い込んで…武ちゃんたち帰っておいでるんかい?」

 声をかけたのは同年の上原佳代だった。

「盆と正月しか会えんでな、孫らの喜ぶもん作ってやろうと思うても、好みが難しゅうて…」

「ふじゑさんは幸せやよ。家族は離れている方がええかも知れんね。うちなんか同居じゃろ?盆暮れだけは一人になりたいくらいやて」

 笑って会釈した佳代は、レジを済ませて自転車に乗った。

 途中に幼馴染の真智子が経営する喫茶『カンナ』がある。

 佳代は店の前を素通りできなかった。

「ふう、暑い!暑い!家まではとてももたん」

「はは、みんな飲み物より冷房が目当てで店に寄るんだよ」

 笑う真智子に佳代はかき氷を注文してふじゑの話をした。

「え!武ちゃんが帰るって、名古屋はコロナじゃろうが」

「非常事態やそうな」

「ならふじゑさんが武ちゃんを止めなあかんて。子どもは帰りたいばっかりや。そやろ?」

「確かにね、こうやって田舎にも感染が広がるんやろな」

 適当に相槌を打って店を出る佳代と入れ替わりに、やはり暑い、暑いと言いながら、辰三と正夫が入って来た。

「寺の本堂は冷房がないでな、役員は熱中症寸前じゃった」

「ああ…ここはよう冷えとる。冷たいビールもらおうかい」

「いやだね辰三さん、カンナは喫茶店だよ」

 ひとしきり軽口を叩いたあとで、

「ところで、ふじゑさんとこは長男一家が名古屋から帰省するんやと。越後屋で聞いて、佳代ちゃん、コロナを心配しとった」

 真智子は、佳代が言ったようにしてふじゑを非難した。

「名古屋はまずかろう」

「町は年寄りばっかりじゃ、わしら感染したら命がないでな」

「今年は誰もが帰省を我慢しとるんじゃ。こりゃ町内会長に報せなあかんのう」

 二人は特ダネを取った新聞記者のように店を出て行った。

 ふじゑはふいに夫が愛用していた釣り竿が物置にあるのを思い出した。四年生と二年生なら、渓流釣りに挑戦してもいい年齢だった。几帳面な夫らしく、テグスも針もきちんと整理して保管してあった。

 二人とも喜ぶぞ…と、そこへ着信音が鳴った。

「ふじゑさん、柴垣ですが、武夫くんの名古屋からの帰省についてコロナの感染を心配する声が上がっとるでの、町内会長として電話しとるんじゃけんど…」

 返事もできないふじゑの耳元で会長の声が響いている。