面会制限

令和02年08月26日

 最近、謙一の元気がない。

「おかあさんに面会できないのはつらいわよね」

 陽子には夫の気持ちが分かっていた。房子がグループホーム『はるかぜ』に入居して五年になる。毎週日曜日、入居者九人と職員四人、それに自分たち夫婦の分を合わせて十五個のおやつを持って房子に会いに行くのが二人の習慣になっていた。

 昼食後にホームに着く。広いリビングで思い思いに過ごしていた入居者たちは、三時になると職員に促されて中央の大きな木製のテーブルを囲む。雑談をしながら一緒にお茶を終えるまでの二時間余りを、ときにはドミノ倒しに興じ、ときには旧仮名遣いの教科書の復刻版を読んで、ゆったりと過ごす。房子以外の入居者も、毎週やって来る謙一夫婦にすっかり心を開いて、顔を見れば挨拶をしてくれるようになった。

 ところが、五年間一度も欠かしたことのない面会が、新型コロナウィルス対策で制限された。

「平日に限り予約の上、検温、消毒、マスクをして、別室で十分だけの面会に制限させて頂きたいと思います」

 高齢の入居者が感染すれば生命に関わるだけでなく、全員が濃厚接触者になって、ホームの運営はたちまち破綻する。

「本当は遠慮してもらいたいのだろうと思うと、面会を申し出るのも気が引けてね」

「でもおかあさんは九十一歳よ。いつ会えなくなってもおかしくないわ。たとえ十分でも会えるうちに会っておいたら?」

「いや、おれが会いたいというよりも、面会がないと、おふくろが淋しいだろうと思うんだよ。親戚のないおふくろにとっては一人息子のおれだけが身内だからな」

「あなたを産んですぐに夫と別れて、謙一いのちで生きて来た人だものね」

 それに、房子は自分の両親を自宅で看取っている。九十二歳で老衰で死んだ父親はともかく、介護保険のない時代に、光を失って寝たきりになった母親を、三年の長きにわたってたった一人で自宅で介護した房子の苦労を謙一は知っている。その房子を、認知症とはいえ、一度も同居して介護しなかった後ろめたさが、強迫的ともいえる謙一の面会行動になっていた。

「ホームでのおかあさんの様子を聞いてみたら?少しは安心できるかもよ」

 陽子に促されて謙一は管理者の尾藤にメールを送った。

『感染を考えると面会を希望するのもためらわれます。そこでお伺いしたいのですが、母は会えば私を認識するものの、会わなければ思い出しもしないで機嫌よく過ごしているのでしょうか?それとも私との面会を心待ちにしているのでしょうか?』

 やがて尾藤から恐縮しながら返信が来た。

『私一存ではと思い、他の職員の意見も聞いてみましたが、房子様は謙一さんに会えば喜ばれますが、普段は面会のことは念頭にない状態で穏やかに暮らしていらっしゃいます。謙一さんのお気持ちとは別に、房子さんの立場では、面会できないことをお気にやまれる必要はないと存じます』

「おふくろは、おれに会いたがっている訳ではなさそうだ…」

「でも会えば認識して喜んでくれるんでしょ?それだけでも有難いと思わなきゃ」

 と言おうとした陽子は、落胆した謙一の顔を見て思わず言葉を飲み込んだ。