相談業務の鉄則

令和02年09月19日

 石塚美穂と名乗る痩せた女性は、メニエール病の辛さと生活の困窮を訴えながら面接室で涙ぐんでいた。

「ご両親は頼れないのですか?」

 秀和は相談員として当然の質問をした。最近は家族に内緒で生活保護の手続きに来る相談者が増えたが、税金で生活をする前に、まずは身内で助け合うべきだろう。

「家出して以来、両親とは絶縁状態で、私だと分かると電話も切られてしまいます」

 もっとも父も母も七十歳を過ぎて、能登半島の小さな町で年金暮らしをしているので、とても援助は期待できませんが…と、美穂はとぎれとぎれに言って唇を噛んだ。

 家出の理由を聞きたいところだが、立ち入り過ぎてはいけない。話さない事情は聴かないのが相談業務の鉄則だった。

「ごきょうだいは?」

「借りたおカネも返さないで、散々迷惑をかけているので、とても助けてくれとは言えません」

「金額を伺ってもいいですか?」

「サラ金と、兄や姉から百万ずつ…」

 何の借金かも聞かない方がいい。事情を聞けば相手は何とかなるのではないかと期待してしまう。これも鉄則だった。

「そうでしたか…残念ですが、借金があっては公的資金は活用できません。税金で借金を返済することになりますからね…」

「やはり無理ですか…」

 美穂は力なく立ち上がった。

「あの…自己破産の手続きならご紹介できますよ」

 という秀和の言葉を背に、美穂は市役所を後にした。

 東京に出てすぐにモデルにスカウトされて、ついて行った事務所で、スーツのよく似合う鍋島真二という男と知り合った。ずるずると同棲を始めてみると、真二は遊び人で、美穂をキャバレーで働かせて稼ぎを巻き上げた。やがて売春まがいのことまでさせられて、妊娠が分かったとたんに店は追い出され、誰の子だか分かるものかと言い捨てて真二は二度と戻らなかった。

 コンビニで破水し、搬送された病院で生活保護が適用された。

 真二によく似た男の子に、美穂は、俊彦という名前を付けた。

「子どもは乳児院に預けて、生活保護からは自立しましょう」

 俊彦が二歳になったら引き取るという念書を書かせて、担当者は美穂に弁当屋の仕事を世話してくれた。

 初めて健康保険証を手にした美穂は嬉しくて真面目に働いた。

 俊彦との生活を目標に二年間…。

「さあ、今日からお母さんと暮らすんだよ!」

 両手を広げた母親の前で困ったように立ち尽くしていた俊彦は、美穂に心を開かないまま小さなアパートで思春期を迎えた。

 中学二年生の夏に、俊彦はいじめの対象になった。

「お前んち、売れ残りの弁当食ってるんだってなあ!」

 その一言で俊彦は切れた。馬乗りになって顔面を殴り続けた同級生の左目は網膜が剥離した。

 手術費用と慰謝料とで二百万…。サラ金では足りなかった。

 持病のメニエール病の悪化で弁当屋を辞めた美穂をサラ金の取り立てが苦しめた。市役所を出たとき、美穂は自分の人生が無価値であることがはっきりと分かった。

 中学二年生の息子を道連れに母親が無理心中をした記事は、翌朝の新聞に小さく報じられて、秀和の目には留まらなかった。