美也子の誤算

令和02年09月26日

 秋に保険センターで開催される『健康フェスタ』は、粗品目当ての高齢者でごった返していた。定番の健康診査のフロアー以外に、骨密度の測定、転倒予防と認知症予防、地震体験車や高血圧向けの調理教室などがあり、それぞれちょっとした粗品が用意されている。胸のレントゲン写真を撮り終えて検診車を降りたところで、房子は同年の美也子に出会った。

「ふさちゃん、検診は一番最後にせんと粗品がのうなるよ」

 美也子が得意そうに持ち上げたポリ袋からは、収まりきらないティッシュの箱や台所洗剤がのぞいている。

「そう言えば役場から届いた年金のお知らせ、読んだ?」

「私らも、はや、そんな齢になったんさぁ」

「私は金額は減っても六十歳から受け取ろうと思うとる。もらった年金はパアッと使うんや。八百屋に定年はないし、うちの人の年金もある。もらう前に死んだら意味ないでね」

 ふさちゃんは?と聞かれた房子が言い淀むと、

「あ、ごめんごめん、ふさちゃんは独り身やったなあ。年金が頼りとなると、金額を減らす訳には行かんわね」

 それにしても、お互い来年は還暦だなんて、年を取るのは早い早いと笑って美也子は検診車に消えた。

 美也子の言う通りだった。両親の始めた理髪店を継いだ房子は、専門学校時代に知り合った男を婿に迎えて男児を授かったが、夫と両親との折り合いが悪く、息子が二歳の時に離婚した。東京の大学を出た息子は東京で就職をし、東京で家庭を持って、盆暮れにさえ田舎には帰れない。父母を送ったあと、固定客を相手に細々と理髪店を守る房子にとって、六十五歳から受け取る月額六万円の年金でさえ心細かった。房子は繰り下げて七十歳からの受給を選択した。これなら月額九万円になる。

 一方、美也子の暮らしは楽になった。六十歳から受給する年金は月額四万円に減額されたが、自由に使える小遣いだと思うと、ためらうことなく服が買えた。喫茶店に入れた。八百屋を閉める日曜日には、友だちと映画にも小旅行にも行けた。

 思いがけない誤算が起きたのは二年後の冬の夜だった。

 六十五歳になって年金を受け取り始めた夫が風呂で倒れた。

「お願いします、先生、助けてやって下さい!」

 救急車で四十分…。運ばれた病院で長時間の手術を受けた甲斐もなく、夫は意識が戻らないまま三年寝たきりで死んだ。鼻から栄養を入れた状態では一般の老人施設には入所できず、手術の費用と療養病床の費用と八百屋をたたむ費用とで貯えは尽きた。美也子の収入は月額四万円の年金だけになった。

 服は買えなくなった。喫茶店にも入れなくなった。事情を知っている友だちからは映画にも旅行にも誘われなくなった。

 携帯電話を解約して、食費を切り詰めて、あと節約できるのは光熱水費ぐらいだった。

「さて、トイレを済ませて寝よう。早寝早起きが一番の節約や」

 居間の電気を消し、トイレに続く通路へ下りて、紐状のスイッチを引こうとして転倒した。大腿から全身に激痛が走った。助けを呼ぼうにも居間の固定電話まで移動ができなかった。

「誰か…」

 痛みで声が出ない。これで二日間、夜になっても明かりがつかない家の様子を不審に思った隣家からの連絡で、福祉課の職員が二人駆け付けた。美也子は暗がりの通路で胎児のように体を丸めて発見された。