歩行通勤

 健康のために自宅と職場の片道一時間を歩いて通勤するようになって気づいたことがある。

 季節の移ろいにつれて街路樹の木の葉が見せる鮮やかな色合いの変化。わずかな土さえあれば懸命に小さな花をつける名も知らぬ雑草たち。歩道の繁みには思いがけない数のスズメが潜み、路地で餌をあさるネコを少し高い塀の上から太ったカラスがじっと見下ろしている。生き物たちがみな潔く今を生きる中にあって、メディアに煽られた健康不安に怯えながら、私はその日もひたすら都会の冬の朝を歩いていた。

 顔に暮らしの疲れをあからさまにして、主婦がゴミ袋を二つ捨てた。その脇を、まだ生活というものの恐ろしさについて何も知らぬげに女子高生たちが太ももを露わに通り過ぎた。さらにその一群を、周囲に山のようなアルミ缶をくくりつけた自転車が追い越して行った。

 高速道路の高架下に公衆トイレがある。

 周辺は雨が凌げて飲み水が確保できる絶好の生活拠点であるらしく、青いビニールシートの小屋が点在している。数人の男たちが集まってせっせと空き缶を踏みつぶす広場に、新たなアルミ缶を運び込む自転車があるところを見ると、彼らの間には簡素な共同社会が成立しているに違いない。

 帰り道、再び同じ場所を通ると、九時を過ぎた広場には人影もなかったが、青いテントばかりに気を取られていた私は、足元の黒い塊りにぎょっとした。冷たい地面に直接布団を敷いて初老の男が寝ていた。枕元には衣服がきちんと畳まれて、育ちの一端を偲ばせていた。この男の人生は、いつ、どんなふうに路上生活の方向に舵を切ったのだろう。酔ったサラリーマンが追い越しざまに投げ捨てた吸殻が、男の布団の近くで一筋の煙を上げた。突然、脈絡もなく、朝聞いた屈託のない女子高生の笑い声が蘇り、ゴミを捨てる疲れた主婦の顔が浮かんだ。私も含めて誰一人、やがて待ち受けている自分の運命を知らない。間断なく頭上を走る車の音が、不気味な川の流れのように続いていた。