孤独の悪意

令和02年11月07日

 牧村美紀に飲みに行こうと誘われて断れる者はいない。断れば、ささいなミスを指摘して患者の前でこっぴどく叱責される。

 包帯の巻き方や点滴針の固定の仕方が悪いと言って、

「あなた、それでも看護師?これじゃ患者さんが可哀そうよ!」

 険しい目で睨み付けられたことのある看護師は、絶対に牧村主任には逆らわなかった。恐れられている分、美紀は孤独だった。孤独な分、仲の良い関係を見ると壊したい衝動に駆られた。

「それじゃ、七時にいつものロゼね」

 その日、美紀の行きつけのワインバー『ロゼ』に七時きっかりに到着した佐伯英子を美紀はカウンターで手を振って迎えた。

 二人で赤ワインのボトルを三分の二ほど空けた頃、

「ところで英子、あなた部長の方針に反対みたいだけど、看護部は組織で動いてるんだから、あまり批判しない方がいいわよ」

 美紀は声を落としてそう言った。

「批判だなんて、主任、私は…」

「どうせ文代に相槌を打った程度のことでしょ?分かるわよ」

「…ということは、文代が私のことをそんなふうに?」

「患者には親切にはしても親密になってはいけないという看護部長の考え方に、文代は初めから批判的だったからね」

「そんな話しになったことはありますが、私はどちらとも…」

「曖昧にしていると賛成したことになる。会話って怖いわよ」

 とにかく親友の振りをしていても同期の嫉妬は厄介だから、林文代には気を付けるのねという美紀の言葉は、翌日以降も英子の胸の奥で棘のような痛みを放ち続けた。だから、

「おはよう、英子、今日も頑張ろうね!」

 文代に明るく挨拶されても、屈託のない笑顔を返せなかった。

 英子ったら元気ないわねえ、どうしたのかしら…と不審に思っていると、今度は文代が牧村主任からロゼに誘われた。

「文代、最近、英子と喧嘩でもした?あんたたち親友なのに」

「いえ、突然、英子の態度がそっけなくなって、私も何があったのかと心配していたところです」

「やはり英子はあなたを敬遠し始めたのね」

「え?敬遠って、どういう意味ですか?」

「あなたが盛んに看護部長の方針に反対するのを、英子、嫌がっているみたいなのよ」

「主任、私は部長に反対しているのではありません。確かに英子には親切と親密とは区別が難しいという話はしましたが…」

「私は分かってるつもりよ、文代の気持ち。あるいは英子はあなたが部長の考えに反対していると周囲に吹聴したいのかも」

 同期はライバルよ、一定の年齢になったら気を付けて付き合わないと、いつ足をすくわれるか分からないからね…という美紀の忠告は、文代を思いのほか傷つけた。まさか看護学校時代からの親友である英子の心に、そんな気持ちがあるなんて…。

 それ以来、文代は英子の顔を見ると表情が険しくなる自分をどうすることもできなかった。英子は険しい表情の文代を見ると、同期には気を付けるのねという美紀の言葉を思い出した。

 あんなに仲の良かった二人の看護師が、口も利かない関係になったことを病棟師長が気がついて、

「あなた、何か理由を知っていませんか?」

 牧村主任に聞くと、主任は眉を寄せてこう言った。

「看護部の方針についての意見の対立が原因のようですが、その程度で壊れてしまうなんて、親友ではありませんね」