胃カメラ

 長椅子で検査を待つ大輔は、ベージュのカーテンの向こうから聞こえて来るうめき声に怯えていた。

「うう…おえっ!」

「ちょっと苦しかったですね、もう少しですからね」

 患者を励ます医師の慣れた声は、これくらいのことは当たり前だと言っているように聞こえた。

 次は同じベッドに自分が上がる。

 検査の苦痛はもちろんだが、結果が悪かった場合を想像すると、今すぐにでも急用をこしらえて帰ってしまおうか…という衝動に駆られた時、目の前のカーテンが開いて背の高い青年が出て来た。顔が歪んでいる。

「胃…ですか?」

 同病のよしみでつい声をかけたとたんに疑問が湧き、

「どうしてまた、その若さで?」

 とたたみかけると、

「兄が…」

 死んだのだと、青年は身づくろいをしながら答えた。

 交通事故だった。

 ハンドル操作を誤って電柱に激突した自損事故で、何の補償もなかった。自慢の長男を失って以来、父親はチャンネルも変えないでぼんやりとテレビを見つめる時間が増えた。涙が枯れるほど泣き暮らした母親は、げっそりと痩せて、想い出の品を発見する度に溜め息をつくようになった。優秀な兄の陰で、定職にもつかず、両親の心配の種になっていた弟は突然一人っ子になった。

 この上自分が先立つようなことがあれば、

「両親は生きてはいまいと思いました」

 青年は深酒と煙草をやめた。一人っ子として生まれ変わったという意味を込めて、人間ドックを受けた。体の隅々まで調べて健康の証を得たら、両親を悲しませるようなことはすまいと心に誓って臨んだバリウム撮影で、小さな異常が発見された。その結果、

「胃カメラを飲むことになったんです」

「で?」

「無事でしたよ」

 身づくろいを済ませた青年は爽やかに笑って検査室を去った。

 大輔は恥ずかしかった。

 五十歳の分別盛りが、家族を抱えてなお躊躇していた。

 大輔が顔を上げた時、

「佐藤さん、佐藤大輔さん」

 看護師の明るい声が順番の到来を告げた。