権力

令和03年01月19日

 水曜日の午後であれば、何とか時間を作ることができると考えて参加した読書会だから、そのあとでメンバーだけの茶話会があると誘われても山脇美穂は出席することができなかった。

 自称元アナウンサーの近藤寿美はそれが気に入らないらしい。

「これで二か月が過ぎたというのに、一度も茶話会に顔を出さないなんて、ちょっと失礼だと思いませんこと?」

「お誘いする度に急ぎますので…と言われて、逃げるように帰られます」

 還暦を迎えた田中弘子の当たり障りのない言葉を受けて、

「何か事情がおありになるのかも…」

 古希を来年に控えた神原幸代が語尾を濁すと、

「だったら事情をおっしゃらないと。ただ急ぎますでは誘った側にやはり失礼でしょ?そうは思いません?棚橋さん」

「確かに事情が分かった方がすっきりしますけどね」

 最年長の棚橋君子は絶対に寿美には逆らわない。

「まさか、いい年をして会費の千五百円が惜しいという訳はないでしょうしね」

 と言って、ほほほと大声で笑う寿美に続いて、谷澤洋子も石川秀子も弾けるように笑って見せた。

 寿美と敵対してこの春、入会わずか一か月にして不本意ながら退会した本田道代の顔がメンバーの脳裏に焼き付いていた。

「主人公は事件を悔いて自殺したのではなく、自殺するために事件を起こしたのではないかと思います」

 寿美とは正反対の意見を、鋭い解釈だと先生が褒めてからというもの、寿美はあからさまに道代に敵意を向けた。

 道代の感想にはメンバーの前でことごとくケチをつけた。

 その剣幕を穏やかな初老の先生は制御できなかった。

「そんな解釈をするなんて、本田さん、悪い苦労をなすって性格が歪んでると思われますよ」

 ねえ皆さん…と寿美が睨むと、先生までもがおろおろと目を伏せて沈黙した。

「私、今夜にでも皆さんのご意見を山脇さんにお伝えしますね」

 皆さんのご意見…という寿美の言葉に、メンバー全員がきな臭い匂いを嗅いだ。

 その晩、寿美からかかって来た電話に、山脇美穂は驚いた。

「今日まで黙っていましたが、理由もおっしゃらずに茶話会にお出にならない山脇さんの態度に、皆さんひどくご立腹で、私たちは嫌われているのだとか、彼女はお高くとまっているのだとか、中には会費が惜しいのではないかという失礼な憶測まで飛び出す始末で、私、なだめるのに苦労しているのですよ」

 今度の水曜日には会の初めにきちんと訳を言ってお詫びした方が良いと思うと一方的にまくし立てて電話は切れた。

 しかし読書会のあとの私的な茶話会を欠席するのに、訳を言って謝罪しなければならない理由はない。それに昼間の清掃の仕事だけでは生活が成り立たず、夜は小料理屋で働いていることを、あの上品ぶった集まりでは絶対に打ち明けたくなかった。

 文学部を卒業した読書好きの専業主婦が、暴力を振るう夫と別れて都会で一人で生きている。水曜日の午後の読書会だけが美穂の見つけたささやかな楽しみだった。

 謝罪の必要を感じない美穂がいつものように席に着くと、

「山脇さんが入会してから、何だか雰囲気が暗くなりました」

 少し考えて頂けません?と寿美は昂然と言い放った。