落書き

令和03年01月25日

 誰よりも常識的で、スカートの丈さえ短くできなかった夏海の服装が大胆になったのは、ひときわ自由な若者と付き合っているからだという噂を聞いて、

「ねえ夏海、私には本当のことを話してよ。親友でしょ?」

 喫茶店で問い詰めた香織は、風間大樹という夏海の恋人が太洋大学の四年生と知って思わず大声を出した。

「太洋大学?」

 一流大学ではないか…とそのとき壁のテレビのワイドショーの話題が変わり、夏海の視線が釘付けになった。

「今、国宝の柱に彫られた落書きが問題になっています」

「それにしても相合傘にDとNなんて、大胆な犯行ですね」

 画面には、あのとき夏海が止めるのも聞かないで、大樹が城の柱にナイフで彫りつけた落書きが映し出されていて、警察が捜査を開始するという。

「夏海?どうかした?」

「ううん、ごめん、ちょっと急用を思い出したの」

 テーブルに千円札を置いて外に出た夏海は、大樹に連絡を取ろうとしたがつながらず、

『ニュース見た?あの落書きが大変なことになってる』

 すぐに電話が欲しいとラインした。

 大樹とはたまたま通りかかった歩行者天国で知り合った。

「お客様の中でどなたかお二人、お手伝い頂きたいのですが…」

 ピエロ姿の大道芸人の求めに応じた大樹が、振り向きざまに夏海の手を引いて人垣の中に飛び出した。訳が分からないうちに観客の真ん中でピエロのとぼけた手品の相手になった。

 楽しかった。

 授業中質問があっても手が挙げらず、カラオケでも進んでマイクを握れない。そんな自分を変えられないでいた夏海だったが、この人となら変われると思った。

 大樹、夏海と呼び合うようになり、レンタカーで方々へ出かけた。免許は取ったものの、臆病で運転できなかった夏海が、大樹を助手席に乗せて県外の観光地にも出かけるようになった。

「夏海、最近変わったわね」

 仲間からそう指摘されるほど、大樹の影響は大きかった。

 夏海に欠けている人間としての自由を、大樹があふれるほど持っていた。ところが、大樹からの電話は夏海を失望させた。

「見たよ、ニュース、どうしよう夏海」

「だからやめようって言ったじゃない。警察が捜査を始めるって言ってたから、見つかるより先に自首した方がよくない?」

「見つからないかも知れないじゃないか。周囲に誰もいなかったし、監視カメラだってなかった」

「落書きを見た人と見なかった人を調べれば、彫った時間帯は特定できる。駐車場のカメラには私たちのレンタカーが映ってる。警察が真剣になれば、絶対に見つかると思う」

「…」

「大樹?」

 しばらくの沈黙ののち、

「おれ、市役所の内定もらってるだろ?こんなことバレたら取消しになっちゃうよ。ねえ、夏海…」

 と改まり、

「落書きは夏海が彫ったことにしてくれないか」

 大樹の一言は夏海の恋愛を打ち砕いた。