領収書

令和03年01月26日

 ニュースで国会の中継が流れる度に夫婦が剣呑になる。

「やっぱり、私、お義父さんは間違ってると思う」

「またその話か。やめよう、食事がまずくなる」

「蒸し返すようだけど、うちは長州の侍の家系だとか、先祖は吉田松陰の教えを受けた誇り高い家柄だとか自慢するのなら、こういうときこそ毅然と本当のことを言うべきだわよ」

「主君に忠誠を尽くすのが侍なんだよ。窮地に立った主君は全力で守る。それが侍の誇りだ。大阪出身のお前にはわからないよ。商人の町じゃないか」

「毎日国会であれだけもめてるのよ。議員の歳費を考えたらとんでもない税金が使われてる。他に審議すべき大切なことがたくさんあるはずでしょ?それに、誰が考えたって後援会主催の宴会で、一流ホテルが八百人を超える参加者一人一人に領収書を発行するなんてありえない。一国のリーダーが国会で嘘をつき続ければ、国民は政治家の言葉を信用しなくなる。それは大変な罪だと思う。あなただってそう思うでしょ?」

「思う思う、お前は正しいよ。だけどおやじは主君には逆らえないし、仲間も裏切れない。これはおやじの問題だぞ」

「一国の総理になった以上、首相はこの地方の主君じゃないと思う。ホテルから領収書はもらっていないって、あの柴田という新聞記者に正直に言えばいいだけじゃない。東京から泊まり込みで取材して回ってるんでしょ?名刺を受け取ったきり、何度訪ねて来ても会おうともしないなんて不誠実だわよ」

「お前、おやじに直接言えばいいじゃないか、おやじもおふくろも下にいるんだから」

 というやり取りを浩一郎は偶然階段で聞いた。

 自分は主君に忠誠を尽くしているのではない。地域にいられなくなるのを怖れているのだということを浩一郎は十分に自覚していた。吉田茂や岸信介を初め、そうそうたる政治家に連なる総理の存在には、無言の圧力があった。しかし今回のことは嫁が正しい思う。息子夫婦の尊敬を失っては、武士の誇りどころではないではないか。記者によると、名前は明かさないが他に何人か事実を証言してくれた勇気ある後援会員がいるという。

 浩一郎は意を決して名刺の番号に電話した。

「そうですか!よく決心して下さいました。これだけ人数が集まれば不毛な国会の議論に終止符が打てますよ」

 人目を避けてわざわざ広島の駅で記者と密会した。

 ホテルから個人宛の領収書の発行は受けていない旨の陳述書に署名するときは、緊張で口の中がひび割れるほど乾いた。

「有難うございました。瀕死の状態のこの国の民主主義も、まだまだ捨てたものではありません」

 その夜のうちにまとめた記事を送信し、翌日、意気揚々と出社した柴田にとって、デスクの言葉は衝撃的だった。

「事が事だからねえ、領収書は受け取っていないという証言だけでは不十分だよ。記事にするには物証が必要だ」

「お言葉ですが、陳述書は立派な物証でしょう!みんな勇気を奮って証言したのです」

 とにかく社の方針だと言って柴田をねじ伏せたデスクは、周囲を気にしながら受話器を取り上げた。

「部長、おっしゃる通りに致しました」

 そして、一段と声を落とし、もちろん陳述書は提出させて私が保管していますのでご安心下さいと付け加えた。