露出

令和03年02月26日

 派出所のパイプ椅子に腰を下ろした彩佳の心臓は、鼓動が警察官に聞こえるのではないかと思うくらい脈打っていた。

「怪我はないのですね?」

 と聞かれても自分では分からない。立ち上がって手足を点検すると、後ろから押し倒されて前のめりに倒れたときにすりむいたのだろう。膝に血が滲んでいたが、大したことはなかった。

「被害届を出すのであれば、擦過傷程度でも診断書を取っておいて下さいね。それだけで犯人の罪も補償の金額も違って来ます。それにしても秋葉さんが通りかかって良かったですね」

 という警察官の言葉に促されるように、彩佳は派出所へ付き添って来てくれた人の好さそうな中年男に改めて頭を下げた。

「お二人とも男の顔は見なかったのですね?」

 あの暗がりで突然後ろから抱きつかれてみると、顔はおろか犯人の年恰好さえ判然としない。

「痩せて背が高くてジーパンに黒いTシャツの男でした」

「髪の毛は?」

 となると二人とも皆目分からなかった。

「何しろ抵抗する女性に覆いかぶさる黒い人影を見て、やめろ!警察を呼ぶぞ!と叫びながら駆け寄るのが精一杯でした」

 秋葉も暗がりを走り去る犯人の後ろ姿しか見ていなかった。

「あの神社の周辺は街灯も少なく防犯カメラもない物騒な場所ですから、若い女性が夜、一人で通る道じゃありません。それにその服装は感心しませんねえ…。スカートは短い、胸も腕も腹部まで露出して…襲ってくれと言わんばかりです。女性が自分の身を守ろうとすれば、男の劣情を刺激してはいけませんよ」

 調書を取りながら警察官は彩佳を、最近化粧を始めた高校生の長女に重ねていたが、彩佳は警察官を父親と重ねていた。

「なんだ、彩佳、その恰好は!まるで裸じゃないか。黒コンにつけまつげ、派手な口紅も何とかならないか。お父さんは市役所勤めで、お前は商売女じゃないんだぞ」

「卑しい気持ちがあるからそう感じるのよ。どんなファッションしようと自由でしょ!女性に対するお父さんの偏見、直しておかないと、そのうち役所でセクハラ課長って言われるわよ」

「おれは、お前の恰好そのものがセクハラだと思ってるんだ」

 かつて大好きだった父親の蔑むような視線に耐えられなくて、アパートで一人暮らしをするようになった矢先の事件だった。

 父親と犯人に対する彩佳の怒りが警察官に向かって炸裂した。

「襲われた方が悪いと言うのですか!」

 その剣幕に、警察官も秋葉も驚いたように彩佳を見た。

「被害者の服装を非難する前に、街灯や監視カメラをつけるべきでしょう?悪いのは犯人です。早く捕まえて下さい!」

 アパートに帰り着いても悔しさが収まらない。

 彩佳がツイッターにぶちまけた憤りの反響は大きかった。

『その警察官は女性の敵だ』『襲われた女性を非難するなんてありえない』『時代錯誤のお巡りを許すな』『これは警察官によるセクハラだ!』『最近警察官の性的犯罪増えてるよな』

 やがて、『こいつが女性の敵のセクハラ警官です』として警察官の顔写真が本名をさらしてSNSで拡散した。

「君、とんでもない発言をしてくれたねえ…」

 県警本部に呼び出された警察官に対して、年度途中の異動が発表された。赴任先は単身でしか勤務できない辺鄙な港町の交番だった。