死角

令和03年03月05日

 財布には高校生にしては多すぎる金額の現金が入っていたが、陳列された商品を前に、真司は盗みの衝動を抑えることができなかった。監視カメラの死角を突いて商品を素早くジャンパーのポケットに入れれば、絶対に見つからないはずだったが、

「ちょっとお客さん?」

 ふいに万引きGメンに肘を捕まれ、値札の付いたブランドのキーホルダーを押収された。

「きみは高校生か?今日は平日じゃないか」

 別室で真司のバッグから学生証を見つけたGメンは、母親の携帯番号を聞き出して、 「パンやスナックではありません。お子さんが盗んだのは一万二千円する商品ですからね。一応身柄は警察に引き渡します」

 厳しい口調で連絡した。

「あなた、真司がまた万引きしたのよ。今回もお爺様の力で何とかならない?このままじゃ真司、退学になってしまう」

 半狂乱の美佐子の電話に、

「え!またか?そうか…わかった。何とかする」

 武司はチッと舌打ちして電話を切った。

 駆け付けた警察官のパトカーに乗せられた真司は、警察署に着いたとたんに、

「真司くん、田村先生は国家のために働いていらっしゃるんだ。あまり迷惑をかけるなよ、」

 迎えに出た署長からそう諭されて解放された。

 真司は祖父の田村総一郎は大好きだったが、国会議員の田村総一郎のことは蔑んでいた。

「いいか真司、人間は正直でなくてはならん。昔、ワシントンという人はだなあ…」

 アメリカの初代大統領が子どもの頃、うっかり桜の枝を折ったことを正直に父親に謝った話を繰り返し聞かせてくれた祖父が、今では野党議員から収賄を追及されて、

「記憶にありません」「目下事務所に照会中であります」「陳情の客が帰ったあとに紙袋が忘れてあったのを秘書が保管したまま失念したようですが、紙袋は既に持ち主に返却されています」

 嘘ばかりついている。

 五百万という多額な贈収賄事件として、週刊誌もワイドショーも総一郎をまるで罪人のように取り上げていた。

「お父さん、国会、乗り切れますかねえ…」

「乗り切らなくては政権が持たない。カネは総理にも官房長官にも渡っているんだ。秘書の鈴木くんに泥をかぶってもらうことで話はつけたが、もうこの件で死角はないだろうな」

 父と祖父の不用意な会話を真司は立ち聞きして知っていた。

 人も政治も民主主義も信じられなくなった。選挙では感動的な演説で有権者の心をとらえる祖父には裏の顔がある。後継者として政治家を志す父親もそれを許している。警察署長でさえ権力者の孫の犯罪には目をつぶる。万引きの連絡を受けた母親は、一人息子のためになりふり構わず警察署に駆け付けるのではなく、父親に頼んで祖父の権力を利用する。こうなると、世の中の秩序そのものがまぼろしのように真司には感じられた。

 翌日も真司は別の店で捕まって警察に連行された。

「お言葉ですが、署員の手前これ以上不問に付すのは困難です」

 警察署長の言葉に総一郎は、家庭の中に存在する思いがけない死角の存在にようやく気が付いて愕然とした。