中華三昧

令和03年03月13日

 クリニックは息子に任せたとはいえ、週三日は現役で診療に携わっている梶山の講義は、長い医療現場での体験談を交えて内容が倫理に及ぶため、社会福祉を学ぶ学生たちにとっては単なる医学の授業を超えた魅力があった。

「今日の講義、考えさせられたわねえ…」

「出産時に脳の血管が切れるなんてことがあるのよね」

「出産って命がけなんだって改めて思ったわ」

「男には分かんないでしょ」

「でも赤ちゃんが無事で良かった」

「先生が市民病院の勤務医だった頃の出来事で、二十年前っておっしゃってたから、生まれた女の子、俺たちぐらいの年齢になってるんじゃないか?」

「子どもと一緒に退院できないで、お母さんはリハビリに取り組んだのよね?つらかったと思う」

「今でもラーメン屋やってんのかなあ…」

「やってたら感動的だよね」

「妻の実家は北海道の牧場主だから、夫は自分の実家に赤ちゃんを任せて、一人でラーメン屋を続けたんだよね。結局、核家族って、実家が近くにないと危機に対応できない」

「少しでも力になりたいって、事情を知ってる病院の職員たちが、お昼によくラーメンを食べに行ったのはいい話だったわね」

「…てことは、お店は病院の近くってことよね?」

「若い夫婦が始めたラーメン屋だから、一軒家じゃなくてテナントだろうし…」

「行ってみようか、今度の日曜日」

「おれ、車出すよ」

 という訳で、15キロほど離れた隣の市の市民病院を目指す学生たちは、たくましい店主と、少し麻痺の残る妻と、明るく成長して店を手伝う娘の姿を想像していた。

 スマホで調べると、病院の付近にはラーメン屋は一軒しかなかった。しかも古くからテナントの一角で営業している。

『中華三昧』という赤い暖簾をくぐると、いらっしゃい!と男の声が飛び、テーブルに着いた五人の学生たちに、同じ年頃の女性店員が水を運んで注文を取った。

 おいしいラーメンだった。

 カウンターの内側で洗い物をしていた妻がレジを打ったが、体に不自由な様子は見られなかった。

「よかったですね、麻痺、完全に回復されて」

「え?どうしてそれを?」

「当時市民病院に勤めていらした梶山先生から授業でお聞きして、私たち感動したんですよ」

 このわずかなやり取りが思いがけない展開を見せた。

 二日後に梶山を大学に呼び出した事務長は、

「実は先生がお勤めだった市民病院の近くでラーメン屋を営む荻山という人から昨日抗議の電話がありまして…」

 脳出血になった妻の麻痺は思うように回復せず、結局夫婦は離婚して、再婚した妻と営む中華三昧という店は、女性アルバイトをひとり雇って軌道に乗ってるそうですが、東京に住んで大学に通っている娘には詳しい事情は話してないらしくて…

「学生に過去の患者ことを軽々しく話すのは、個人情報の点でも守秘義務の点でも問題ではないかとおっしゃっています」

 梶山は意図せぬ結果に背筋が寒くなった。