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夫の臺
火葬場で夫の体が灰になるのを見届けた時は、これで今生の別れを済ませたのだと思ったが、一人暮らしを始めてみると、夫の気配は生前以上の印象で随所に残っていた。
悪いことはできない代わりに人生を楽しむことも苦手な夫は、春と秋には夫婦で温泉を巡ろうという鈴子の提案を、病気になったらカネが要るぞ、寝たきりになったらカネが頼りだぞと一蹴し、退職金にも手をつけないまま突然の心臓発作で逝った。そのくせ夫は、将来に不安を想定しては怯えて暮らす臆病さを払拭するように、ときおり不必要なものを高価な値段で購入して鈴子を驚かせた。
座敷を見下ろす茅葺屋根の重厚な神棚は、六万円もはたいて伊勢神宮で手に入れたものだった。
「おふだを祭るのなら、ホームセンターに一万円以下でまあまあのがありましたよ」
「家族の心の的になる神棚をケチってどうするんだ。女ってやつは次元が低くて困る」
結局、家族揃って柏手を打つ機会などないまま、厄介な掃除だけが鈴子の役割になった。
床の間にあるくすんだ緑色の壷は、還暦記念と称して夫が夏のボーナスで購入したものだった。
「こんなものに八十万も!」
「人間国宝の作品にしては破格の値段だぞ。この良さが分からないなんて可哀想なもんだ」
そういうものには大抵、人を見下したような夫の屈折が付着していた。
鈴子はためらうことなく夫の壷を古美術商に持ち込んだ。
「あの…亡くなった主人が大切にしていたものですが、私には趣味がありませんので…」
価値の分かる人の手元に置いて頂きたいのだと差し出した壷を店主は様々な角度から眺め、
「大変申し上げにくいことですが…」
贋作ですと告げて気の毒な顔をして見せた。
再び壷を抱いて引き返す鈴子の胸に、夫に対する愛情めいた可笑しみがこみ上げた。
(ふふ、ばかね、こんなものに騙されて…)
鈴子はもう一度壷を元の床の間に飾った。
終