芝居小屋の源一

 役者たちに見送られて木戸を出る得意げなマサの様子は、なぜか源一の癇に障った。祝儀をはずむ客だからといって、座長もあからさまに媚びを売り過ぎる。

「へ、誰も知らないと思ってるだろうが、昼間はただの掃除のおばちゃんじゃないか」

 長年木戸番をしていると、客の馬鹿話やうわさ話が積もり積もって、たいていの常連客の素性も事情も知っていた。

 いつも同じ席でないと機嫌の悪い達子は、姑の潔癖症に苦しんだくせに、今では嫁の家事に文句ばかり言って家族から疎まれている。化粧で十歳は若く見せている道子は、時折り路地で不動産屋の隠居と落ち合ってどこかへ姿を消す。どんな芝居でも目を泣き腫らして帰って行く春江は、事故で死んだ夫の補償金をすっかり株で失くし、一度は命を絶とうとしたことがある。みんな自分の秘密だけは守られていると思っていた。

 木戸をしまって、いつもの居酒屋に入ろうとしたときである。

「ほおっ、源さんは昔、役者だったのかい?」

「そうよ、いい芝居をしたって死んだ親爺が言っていた。ただな…」

「ただ?」

「あの丸顔だろ、二枚目はできねんだとよ」

 確かに丸いと大笑いする声から逃げるように源一は駅に向かった。襟に一万円札を鋏んで見栄を切る仲間たちを舞台の袖で見た悔しい思い出に、得意げなマサの顔が重なった。

 駅に着いた源一は、トヨが紙袋をさげてトイレに入るのを見た。やがて同じ紙袋を手に立派な身なりの女性が現れてタクシーに乗りこんだが、それがトヨであることに気付いたときには、タクシーは既に走り出していた。

 トヨにも秘密がある…。

 源一は吹っ切れたように改札の人混みに向かって歩き出した。