野の人

 土地が安くて交通の便がいいという理由で居を構えた町が土葬だった。

 越した当時は毎年のように人が死んで、正月休みが済んだ頃、決まって穴掘りにかり出された。不運にも「野の人」と呼ばれる穴堀り人足を割り当てられた数人の男たちが、スコップを手に手に埋葬地に集まると、新しいほとけの記憶を辿って長老が慎重に区割りした縄張りに従って作業が始まる。踏み分けた枯れ草の間から、朽ち果てた卒塔婆や割れた茶碗が現れる荒涼とした埋葬地は、掘り進むにつれて土が柔らかくなり、時に旧い人骨が出た。穴が一定の深さに達すると、複数の人間では身動きができないため、交代制の単独作業となって、ちょうど私がスコップを振るっていた時である。

「そろそろ一服しようか」

「あの…」

 上げてくださいと言いそびれた私を穴の中に残して長靴の集団がいなくなった。

 見上げると頭上に四角い青空が広がっている。

 あの青空の下が生きている者たちの世界なのだ…と思ったとたん、自分が死んだ者の世界にいることに気がついた。

(待てよ…こちら側の人間の方が多いのじゃないか?)

 それは初めての実感だった。

 生きている者たちと死んだ者たちの人口を比較すれば、言うまでもなく死んだ者の数の方が圧倒的に多い。我々は死ぬということを特別な出来事のように恐れているが、数の上から見れば、生きていることの方がよほど特別な出来事なのである。

 生まれぬ前の闇の中から生を受け、喜んだり悲しんだり愛したり憎んだり…。わずか百年足らずのいのちを燃やし尽くして再び闇に還る。そこには紫式部も頼朝も信長も家康も、私の祖父も祖母も住んでいる。いや、ひょっとすると生きているわずかな期間こそが闇なのかも知れないと思うと、死ぬことに対して安息に似た不思議な感覚を味わったのである。