病室

 いつ逝ってもおかしくない状態だから、意識があるうちに一度顔を見せておいた方がいいとわざわざ電話をよこしておきながら、

「助かったわ、あんたが来てくれて」

 点滴につながれた母と妹を病室に残して、夏子は同窓生との一泊旅行に出かけて行った。

「困るわよ、姉さん!」

 という秋子の声で目を覚まし、

「来てくれたんだ…」

 信江がベッドの上で力なく手を伸ばした。

 そっと握ると、七十五歳の信江の手は、木でできた小さな熊手のように乾いて痩せていた。

「姉さん、行っちゃったよ」

「旅行だろ?京都だって言ってた」

 答えた口元が少し歪んだ。

 意識が戻れば痛みも戻るのだ。

「テレビ、つけようか?」

「うるさいから…いい。それより…」

 洋介は就職を決めたか、弘美の居酒屋のアルバイトは辞めさせたかと、ひとしきり孫たちの近況を聞いて信江はふいに静かになった。

「母さん?」

 覗き込むと、窪んだ頬が濡れていた。

 やがて若い看護師が手際よく点滴を替えて行き、しばらくすると寝息が聞こえて来た。

 秋子は布団を直して母親の顔を見た。

(昔から姉さんばっかり可愛がって…)

 妹だから服もおもちゃも姉のお下がりだったのは仕方ないとしても、姉に接する時の楽しそうな表情は、自分に向けられた記憶がない。

「あんた、ひがみっぽくて暗いからよ」

 いつだったか夏子にそう指摘されたことがあったが、それは結果であって原因ではないと思っていた。

(こんな時、姉さん、旅行に行っちゃうんだよ)

 ベッドサイドのパイプ椅子に腰を下ろすと、信江が寝言を言った。

「な・つ・こ…」

 秋子は驚いて、もう一度母親の顔を見た。