キヌの病室

 役所が主催する講演会のチラシを持って来た組長は、

「ほう、茄子がようできとるのう」

 縁側に腰を下ろしてタヅの畑を誉めた。

 チラシには、テレビでよく見かける何とかという偉い先生の顔写真が笑っていて、

「演題の『安心ネットの構築』つうのはな、要するに、これからは年寄りばっかりの社会が来るで、昔のように近所が助け合わにゃあいかんっちゅうこっちゃ」

 組長は講演の趣旨を解説して参加を促すと、

「それにしてもキヌさあは大変じゃったの」

 と深刻な顔をした。

「キヌさがどうかしたんかの?」

「あれ、タヅさはまんだ知らなんだかい、ゆんべ具合が悪うなってな、救急車で市民病院に運ばれたんじゃ」

 足腰が衰えた今となっては、めったに会うことはなくなったが、一人暮らしの同級生同士、お互いに何かあれば放ってはおけない仲だった。

 タヅは早速、一時間に一本の巡回バスと定期バスを乗り継いで、市民病院に駆けつけた。

 受付でキヌの名前を言って病室を尋ねたが、

「そういうことにはお答えできないことになっております」

 青い制服姿の女性職員の、ひどく事務的な答えが返って来た。

「ゆんべ救急車で運ばれたげな。タヅが駆けつけたと伝えてくれんですか。身よりのない身やでの、キヌはきっと心細い思いをしとります」

「いえ、個人情報ですので、これ以上は…」

 個人情報も何も、キヌと私ゃ、なあんも秘密のない友達ですで、病室ぐらい…と言いかけてタヅは諦めた。拒絶することが役目のような厳しい顔が冷ややかにタヅを見下ろしていた。

 タヅは虚しく定期バスを待った。目の前を横切って、救急車が新しい患者を運び込んだ。

 再び乗り継いだ巡回バスの壁には、今朝の組長のチラシが貼ってあり、『安心ネットの構築』の文字が黒々と躍っていた。