クレパス画

 田舎で一人暮らしをしている登美の隣家から電話が入り、

「毎晩、玄関のチャイムを鳴らして変なこと言われるので、お知らせしようと思いましてね」

「変なことといいますと?」

「何でも、兵隊さんにお茶を出すのを手伝ってほしいとか…もう、わけがわからないのです」

 一度見に来て欲しいと言われ、夏休みで一人だけ暇をしている高校生の真由がしばらく泊り込むことになった。

 久しぶりに孫の顔を見た登美は喜んで、今夜はご馳走だと出してくれた夕食が冷奴だった。

 しかも豆腐が一丁、ドンと皿に乗っている。

 それが翌日もその翌日も続いた。

「お婆ちゃん…」

 それだけではなかった。登美は毎晩十時過ぎに仏間に座り、目には見えない大勢の兵隊さんを相手に意味不明の会話をした。

 一人にはしておけないということになって、引き取られた登美は、昼間だけ預けられるデイサービスで、さらに混迷の度を増した。

「環境の変化は混乱を招きますからね」

 職員が説明している間も、登美は回廊式の廊下をわき目もふらず歩いていた。

 家では、触られて困るものはことごとく隠され、開けられては困るドアには全て鍵が掛けられた。朝は介護休暇で出勤を遅らせた真由の母が、登美を無理やりデイサービスのワゴンに乗せてから出勤した。帰って来た登美の世話は真由の役割だった。

 その日ワゴンから降りた登美から便が匂った。

 浴室で身体を洗って着替え終わると、

「これはこれは、どなたさんか存じませんが…」

 お世話をかけますと登美は礼を言った。

「本当に私が判らないの?お婆ちゃん」

 真由は思いついて、小学生の頃、登美の顔を描いたクレパス画を取り出して見せた。

 じっと見つめていた登美の唇が、やがてかすかに、ま…ゆ…と動いて笑った。