二つの鯉のぼり

 休憩時間にかかって来た携帯電話を耳に、

「そうか、男の子か。よかったなあ…」

 啓助はそれだけ言うと電話を切ったが、

「中村さんも、とうとうお爺ちゃんだね」

 同じ工場の大澤政代に声をかけられて、危うく泣きそうになった。

 妻にもお婆ちゃんと呼ばれる喜びを味わわせてやりたかった。資産家の長男と結婚するという沙織に、釣り合わないのは不幸のもとだと猛反対した妻は、いざ嫁ぐとなると、老後の蓄えをはたいて立派なドレスを着せた。あの時は既に自分の体を蝕む癌の存在を知っていたのだと啓助は今思う。生きていれば、娘の出産の世話は妻がしていたに違いない。

「鯉のぼり、節句に間に合わせなきゃね」

 初産を祝う鯉のぼりは母方の実家が送るものだと大澤から聞かされた啓助は、早速、人形の専門店に出かけて行った。

 両方の実家から届いた鯉のぼりセットを前に、夏彦は考え込んでいた。二つを並べると、夏彦の父が初孫を喜んで作らせたという家紋入り手染め友禅の鯉のぼりは別格だった。

「釣り合わないのは不幸のもとです。どうか沙織のことは諦めて下さい」

「お母さん、そうやって釣り合いにこだわる考え方こそ不幸のもとだと僕は思うんです」

 惨めな思いはさせませんから沙織さんを下さいと頭を下げたあの夜の会話を思い出して、夏彦は便箋にペンを走らせた。

「わっはっは、夏彦は優しか男ばい」

「沙織さんのこと、よほど好きなんですね」

 丁寧に事情を記した手紙を添えて送り返された鯉のぼりは、夏彦の実家の庭に飾られた。

 一方、娘夫婦から招待されて初孫を見に出かけた啓助がマンションの下から見上げると、工場の給料のほとんど半分を奮発した爺ちゃんの心意気が、はるか上空のベランダの風に勢いよく翻っていた。