指輪

 スランプに陥ると英子はふらりとデパートの貴金属売り場を覗く。英子が宝石デザイナーであるとは知らないで店員が行う流行の説明が、新しいデザインの刺激になるのだ。

「お客様の奥様くらいの年齢の女性ですと、最近はこのようなタイプが人気です」

 声の方向に顔を向けた英子は、ガラスケースのリングを覗きこむスーツ姿の男性の顔に目を凝らした。老け込んではいるが、同級生の啓子の夫の島村賢二に違いなかった。

(そう言えば彼は急性腎不全で人工透析を受けていたはずだった…)

 十数年の記憶を辿った英子の脳裏に、当時、夜な夜なかかって来た啓子の電話が蘇った。

「ねえ、今、ちょっといい?」

 で始まる英子の長電話は、たいていが透析患者をめぐる暮らしの愚痴だった。

「工夫した減塩食を黙って残す夫も夫だけど、まずくても食べなきゃって、誰よりも心配しているように言う姑も無神経だわよ」

 そして最後に交わす会話は決まっていた。

「英子、私もあんたみたいにさっぱりと離婚して、思うように生きてみたいなあ」

「すればいいじゃない、自分の人生よ」

「さすがに人工透析の夫を捨てて離婚はできないわよ。子供たちだって賛成しない」

 週三回、四時間ずつチューブに繋がれる夫の世話と姑の無神経に苦しみながら、啓子は今も悶々としているのだろうか。

「島村さん…ですよね?」

 英子が思い切って声をかけると、賢二も覚えていて、長い透析生活で浅黒くなった顔をくしゃくしゃにした。そして、

「啓子は元気してますか?」

 と尋ねる英子に、

「実は、あいつから腎臓一つもらいましてね、一生頭が上がりません」

 賢二はそう言って照れくさそうに笑った。