最後の客が帰ると、暖簾を取り込んで、券売機のコンセントを抜き、店内の忘れ物を点検するのは真佐子の役割だった。

「ふう、終わった、終わった。いよいよ夏だねえ、うどんよりそばの方が出るわ」

 厨房の中で腰を伸ばす道代に、真佐子がカウンター越しにコウモリ傘を差し出した。

「へえ、珍しく立派な傘じゃないか」

「骨の曲がった年季物よ。捨てたんだと思う」

 真佐子は近頃の人間のこういうズルさに腹を立てている。プラットホームのそば屋に忘れていけば、家庭ゴミに出すときのように、骨と布を分ける必要はない。

「それでもこうやって一ヶ月は保管しておくんだからさ、バカバカしいねえ」

 冷蔵庫とロッカーの天井に掛け渡した竹の棒には、取りに来る当てのないオンボロ傘がずらりとぶら下がっている。その一番端に受け取ったコウモリ傘を引っ掛けて、

「さあ、帰ろ。帰ろ」

 二人がエプロンを外したとき、初老の男性が飛び込んできた。

「あの、お店はもう…」

「いえ、傘を、傘を忘れていませんでしたか?」

「ああ、最後のお客さん」

 これですか?と、さっきしまった傘を道代が取り出して見せると、

「それです、それです、よかった、やっぱりここだった」

 誕生日に孫にもらったプレゼントだという。

「まあ、やさしいお孫さんですね」

 おいくつですか?と尋ねる美智子に男性は一瞬顔を曇らせて、

「生きていれば、今年、五年生になりますか…」

 コウモリ傘を握る手に力を込めた。

 すごい音量のアナウンスと共に列車が着いてプラットホームにたくさんの乗客を吐き出した。

 慌てて車両に乗り込んだ男性は、ドアのすぐ後ろに立って、二人にほんの少しだけ傘を持ち上げて見せた。