殉職

 工務店の事務を定年退職した男の再就職先が、警備会社の嘱託職員であるのはやむを得ないとしても、若い職員から呼び止められて、

「あ、おじさん、ええっと、名前何だっけ?そうそう高橋さんだったよね、高橋逸朗さん。日誌はその日のうちに書いて下さいね」

 などとため口をきかれるのは心外だった。

 その上、警備員とはいえ、誇りを持って職務に就こうと背筋を伸ばす逸郎の制服姿を見て、

「ほう…中々お似合いですが、あまり張り切らないで下さいよ。うちはあくまでもビル管理の会社です。侵入者を発見したら非常ベルを鳴らして警察に通報です。くれぐれも立ち向かったりしないようにお願いしますよ」

 と言われるに及んで、逸郎は体の芯から力が抜けて行くのがわかった。

 四十年余りも勤め上げた会社は、

「長い間お疲れさん」

 安い花束一つと、居合わせた職員の拍手であっけなく逸郎を送り出した。妻は花束を無造作に流しに置いて、

「次の勤め先決まった?」

 真顔でそう言った。何だか価値のない一生を送ってしまったようで虚しかった。

 仕事はひと月で慣れた。

 懐中電灯の丸い光を頼りに深夜のビルを巡回すると、物影に人がいるような錯覚に襲われることがあった。そんなときは、ことさら大きな足音を立てて咳払いをした…が、

「やべ!」

 懐中電灯の光の先で短い声がした。

 オフィスの窓ガラスに反射して、逸郎からは何も見えなかったが、侵入者は見られたと思った。ノートパソコンを何台か抱えて躍り出た三人の若者に、逸郎は体当たりをした。逃げたら本当に価値のない人間になってしまうような気がした。その瞬間、逸郎の制服の脇腹に固く鋭い物が突き刺さった。