チョコレート

 バレンタインの朝、手作りチョコレートの包装をし直すのに手間取って、無人駅に着いたときには既にプラットホームに人影はなく、おもちゃのような緑色の列車が今にも発車するところだった。

「待って!」

 自転車を立てるのももどかしく階段を駆け上がる葉子の背後で、けたたましい金属音がした。

 驚いて振り返ると、ドミノ倒しになった自転車の傍らで、早く行けとばかり、いつものお爺さんが蚊を追い払うような仕草をしていた。

 申し訳なさそうに頭を下げて列車に乗り込む女子高生を見送って、健三は丁寧に自転車を起こし始めた。二月の自転車は手が凍りつくほど冷たかったが、手袋をすると今度はすべって思うように作業ができなかった。

 通学時間帯だけの自転車整理の仕事を始めて二年になる。

「え?そのお年で登録されるのですか?」

 シルバー人材センターの職員は驚きを隠さなかったが、それでも健三のために努力してこの仕事を探してくれた。妻に先立たれてだだっ広い田舎の家に一人残されてみると、こうしてわずかでも世の中の役に立っていることで、ひたすら死を待つ身の空しさから免れていた。

 葉子は校庭の隅にいた。

 義理チョコは配り終えたが、肝心の慎吾先輩に手作りチョコレートを渡す機会がないまま放課後になった。ここで目を凝らし、校舎から出てくる慎吾をつかまえる以外にもう方法はなかったが、憧れの慎吾の姿を見つけた葉子は慌てて目を伏せた。由美子先輩が親しそうに腕を組んでいた。

 翌朝、健三の目の前に自転車が止まり、

「あの…」

 昨日はありがとうございましたと、一人の女子高生が綺麗な紙袋を差し出した。

 健三はその日、八十二歳でバレンタインのチョコレートをもらったことを人材センターの職員にひとしきり自慢した。