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ホタル狩り
テレビのない時代、娯楽といえば家族で取り将棋をしたり,すごろくをして楽しんだものだが、初夏になると町外れの川辺にホタル狩りに連れて行かれたことを思い出す。たくさんのホタルを入れた虫かごを得意そうに目の高さに捧げ、母親と一緒に入った小さな中華そば屋で、
「哲雄、ちょっと立って向こうを向いてみ?」
のんびりした口調とは裏腹に、立ち上がった私の背中を母親が懐中電灯で勢いよく払うと、床で大きな川ムカデが黄色い体をよじっていて、昆虫嫌いの母親は私を抱きしめて震えていた。私の年齢を六歳と仮定して計算すると、母親は二十代後半だったことになる。
半世紀の歳月が流れ、八十を目前にした母親を五十代の半ばを超えた私がホタル狩りに誘った。
「昔どおり居るかなあ…ホタル」
こんな道はなかった、あんな建物はなかったと当時を偲びながら、月明かりの田んぼ道を抜けて橋の上から目を凝らした。音を立てて流れる川の繁みを無数のホタルが飛び交っていた。
「居ったなあ…ホタル」「きれいやなあ…」
帰りは近道をした。
舗装した道路が田んぼを貫いて県の総合庁舎に続いている。
「あそこを抜ければ早いぞ」
フェンスに近づいた時、あ!という短い叫び声と共に母親の姿が消えた。目の前を深い溝が黒々と横切っていた。咄嗟に飛び下りて助け出した母親の腰から下がぐっしょりと濡れていた。
「大丈夫か、おふくろ!」
「背中がちょっと痛いけど…大丈夫やと思う」
幸いびっこも引かずに歩いて帰る途中、街灯の明かりの下で濡れたズボンを絞りながら、
「死んだお爺さんとお婆さんに守られとるんや」
母親が笑った。
翌日改めて車で見に行くと、身の丈ほどの深さのコンクリートの溝をわずかな水が流れていた。
もしも私が母親より一歩先を歩いていたら…。
この年齢になって、私も年老いた母親に守られていたことになる。
終