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おにぎり
いくら主治医だからといって、初期の肝硬変を持つ五十代の男性患者について、
「働けますよね?」
漠然とそう聞かれても答えようがない。
「仕事も色々だからねえ…机に向かう作業なら十分できるが、工事現場は絶対に無理だ」
「だったら先生、この欄に…」
○(まる)を打ってくれと、福祉事務所の若い職員は、警察官のような顔で啓介に一枚の書類を差し出した。
「そりゃあ構わんが…」
軽作業なら可という欄に○を打って印鑑を押しながら、
「しかし彼の場合、問題は肝臓よりアルコールだよ」
啓介がそう言うと、
「なまけ者に税金で酒を飲ませる訳にはいきませんよ」
職員は書類を鞄にしまい込んで、今度は裁判官のような顔をした。脳裏に、酒で家族をさんざん困らせて死んだ父親の姿が浮かんでいた。
軽作業なら可能である旨の主治医の意見書を突きつけられて、
「仕事、その気になれば、できるでしょ?」
この春から担当になった市役所の若い職員からそう詰め寄られて春雄は返答に窮した。ましてや、
「誰もが働いて税金を納めています。そのカネであなたは働きもしないで酒を飲んでいるのですよ」
許されることではないでしょうと言われては、目の前に置かれた生活保護の辞退届けに署名するしかなかった。これで月額八万円ほどの収入が断たれる。酒どころか米を買うカネもなくなるが、もういいと思った。
社長と呼ばれていた時代には、まさか夜逃げの果てにこんな人生が待っていようとは想像だにしなかった。
「では、真面目に働いて自立してくださいね」
職員の後姿が、忘れていた一人息子を思い出させた。
それから四ヶ月…。
「春さん、ここんとこ静かだねえ…」
「静かで結構じゃないか、酒飲んでぐたぐた言われるのはたまんないよ」
「ガスも水道も止まってるし、嫌な匂いがするんだよ」
近所の主婦たちの通報で駆けつけた警察官は、ミイラ化した春雄の遺体の枕辺に、おにぎりが食べたいという鉛筆の走り書きを発見した。
終